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  映像研究

この日々

・202004022116。春の業務がひと段落して帰りの電車でタイムラインをつるつる眺めつつ日記も書く。日々少しずつ移り変わる状況と状況の進展に伴う心理について。あとでこの現実を物語のようなものとして振り返ることを目的として書いておこうと思っている。

 

・少しずつ自分が置かれている状況が見えてきたような気がする。それほど簡単には非常事態宣言は出ないかもしれない。「非常事態宣言が出ない」ことにおいて営業は継続される。非常事態宣言の良し悪しについては未だに判断がつかないがそれを求める心理も理解できる。しかしそれを期待してはいけないという考えが強い。しかし思えば自民党政権の判断において自分が望むような結果になったことは記憶にない。して欲しいな、と思うことはなされず、して欲しくないな、と思うことばかりがなされる。有事であれ戦時のような状況であれ、その法則は守られるのだということを理解した。よく読む辻仁成という人の日記の中で「欧州の国々は一人残らず国民を救おうしている」という部分があり、はっとする。一方で自分が所属していることになっている国では全く違う基準で判断がなされているということなのだろうか。「棄民」という言葉がよぎる。

 

・そして基本的に企業とは国家を模すのだろうということを考えた一日だった。帰宅して『荻上チキのsession22』で総理大臣の国会答弁を聞きながら、その内容もさることながら、その口調、現状を追認するための論理の上をたどたどしく歩くような言葉、その非常にだめに思える思考から何らかの影響を受けることによって多くの企業は営業を続ける口実を生み出し続けているのだということを考えた。「人間を使い捨てる国に所属していることになっている企業は同じような仕方で人間を使い捨てる」ということなのだろうか。その悪を悪として描き出したいという気持ちもあるが、別のことも考える。現状の利益を最大化するために次々と奇策(に思える)を繰り出す政権は、ある種の人工知能のようなもので、その唐突さと人間不在の印象は、人間の思考とは完全に異なる論理で動いているのではないだろうかと。さらにいえば、そうした「システム」は日本の風土と結びつくことで、ある種のサステナビリティのような思想を体現している。人間の存在が軽い。

 

・そういう話を職場の講師室でしたり帰りの電車で考えたりしている。しばらくこの状態が続くことが予想されている4月2日。