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  映像研究

日常とは

 
・201901121011。すっかり正月が終わり自分の生活の時間が戻ってきた。戻ってきたのか。進んでいる。何が進んでいるか。年末に買った新しい(古い)カメラで撮影した写真を見ている。5、6本撮ってみて(といっても50枚に満たない)カメラの感じがわかってきたような気がする。レンジファインダーのカメラを使うことがほとんどないから、シャッターを押した時に「撮れてんのかこれ?」と思うけれども、撮れていた。そして撮れているということがわかり、シャッターを押す時にその「撮れている」イメージを持つならば、シャッターを押すことが「撮っている」感じになっていくのだろう。そうしてカメラと意識とイメージが接続されていく。接続はされるが重なるのではない。


・大学に中間報告書というものを提出して、気持ちを新たに研究活動に邁進することを自覚する。生きている間に読まなくてはいけない本読むべき本は無限にあり、そうした本を調査しているだけで無限の時間が必要とされ、文章を書いている暇などない。そう考えながらしかし読んだ言葉に言葉を返し、関連する言葉を書きつけ、関係のないような言葉を隣に置く。古典を精読する企画は業務がひと段落する2月の10日前後から始めることにして、それまではリサーチ的な乱読の時期なのだと自覚する。同時に文章のスタイルについての自由研究を進めたい。明晰な文章は何か。明晰であることがつねに相応しいのではないにしても、文章を書くことがどのような技術であるかについて考えたい。


・可能な仕方で継続する。たぶんあっという間に春になる。