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  映像研究

4年前の14時46分くらいの時間を思い出す

 
・201503111407。2011年の3月11日、14時46分くらいの時を思い起こしてみる。大きく揺れた。建物の7階にいたものだから激しい揺れに慌てた。本棚の本が飛び出したことに驚いている間に本棚が倒れた。9階だか11階だかに担当していた学生がいたので様子を確認しに行ってすぐに一緒に建物の外に出た。建物の裏手にあるお寺の境内でしばらく過ごした。何かを待った。波のようなものが過ぎ去るのを待ちながら情報を待った。小さな揺れが繰り返されることでその待つ時間はずっと引き延ばされるようだった。新宿で夜を過ごした。


・高尾に住んでいた。翌朝帰宅して家は全然散らかっていなくて、しばらく生活するための荷物を持って清瀬の実家へ向かった。それから10日ほど家族4人での生活があった。家族が4人そろって生活したのは後にも先にもあの10日間だけだったのだと後から気がついた。テレビとインターネットを気にした。日記を書いた。時々車で出かけた。電気が止まると言われて実際に止まったりもした。電車も止まった。もちろん原子力発電所からは有害な物質が出続けていた。わかることとわからないことがあった。友人と連絡を取り合った。その取り合った連絡の続きは無数にある。無数の出来事があり場所があった。それはきっと誰もがそうだった。


・ある時期に誰もが「同じ時」を経験している、と感じていたこと、感じているように思っていたことを今不思議に思う。時間が経った。201503111430。例えば先月香川県の島へ行き、少し前に関東から移住した人の話を聞いていても「311(さん・いちいち、または、さんてんいちいち)」という語が発話されることがある。この語の響き、発話される感じに今何を思うか。純粋にある時間ある時期を指し示す記号のようなものになっていることをあらためて思う。「311以降」と言うだろう。「311からこっち」「311を境に」「311以前からも」「311をきっかけに」そういう言葉が存在している。自分の思考にもそういう記号が確かにある。


・ひとつ、その記号が記号であることについて考えることも必要だと思った。例えばその揺れを感じた時からの時間の長さについて、あるいはその揺れを感じた地点と今(偶然にも)立っている場所との物理的な距離について、それぞれ考える(思い出す)ことができる。あるいは考える(思い出す)そのたびごとに、思い出すこと自体が変化していくこと。その思い出す先には「311」がある。そして思い出して、語り合うことがその「311」という記号を作り、育てていったということなのか。


・46分くらいにはまた別のことを考える。震源地のことを想像しようとしたけれどもそれは難しかった。祈ってみようとする。


・「311」の後に「私にできることは何だろう」という問いを立てることが自分にあって、おそらくは別の誰かにもあって、多くの人にムードとしてあって、一方でそういう問いを立てること自体をやんわりとたしなめるような言葉もマス・メディアあるいはソーシャル・メディアで見る・聞く・読むことがあって、その問いはトレンドのようにすっかり消費されてしまったように思われるのだけれども、しかしいつだってその問いを自分の言葉で立て直すことはできるのだとふと思う。あらゆる時間を任意の点とすることは可能であるが、多くの人に共通する任意の点もある。いずれにせよその点を打ち直すこと。打ち直すために思い出すこと。過去を出来る限り鮮明に見ようと覗きに飛んでいって、そして今に戻ってくること。201503111503。


・戻ってきてメモ。何かに寄りかからずに問いを立てることはできるか。自分が何に寄りかかりそうになっているかを自分で知ることはできるか。そうして問いに応える/問いを立て直し続けることはできるか。そのことと「方法をつねに検討・更新しながら物事を進めていく」ことをどのようにひとつのあり方に組み込んでいくことができるのか。そうしたあり方に(欲張りにも)ユーモアすら巻き込んでいくことはできるのか。などなど。