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  映像研究

夏の労働と夏が終わる

 
・9月2日は月曜日。夏の労働が終わって一週間が過ぎた。そして気分はもう秋。朝方から気温が下がってくる。しかし再びの熱帯夜。なおも真夏日。でもそのうちに三温四寒でどんどん涼しくなってくるかもしれない。


・本を読むことも、文章を書き記すことも、言葉で考えることも、しばらく忘れていたかもしれない。色々と準備しなくてはいけないこともある。その中でどのように考えることを継続するか。あまりにも暑い夏のせいで、考えるべき事どもが、何もかも飛び去ってしまったようにも思うのだけれども。


・時代のムード、とかいうものの制約を受けながら、時にそれを風のようなものとして、それに煽られて飛ばされながら、それでも静かに、言葉の質感を手放さずにいられるのならば。


・5年前の夏の終わりに高尾に引っ越した時の空気の感じを覚えている。ああ、秋はこんなにも良いのかと思った。夏と違って季節のピークがあるわけではないから、秋の中心は捉えようもなく、それでも「今が一番秋らしいのだろうなぁ」ということをいつも思いながら、気がついたらすっかり冬になっている。そのようにして高尾に住んでいたことを思い出す時には、いつも秋の感じがともにある。


・そして今年はまた別の場所で新しい秋を迎える。今年はきっとどの時よりも素晴らしい秋になるだろう。色々なことを考えて、色々な新しいことを知って、そうするほどに秋の良さが感じられるようになるに違いなかった。「静けさと人の声」という言葉がふと思いついた時は、いつだったか。秋の感じのことをずっと考えている。


・誰もが労働の合間に、ほんの隙間のような、時間と空間に、そっと別のことを考えているのだと、思う今日この頃。すっかり大人のような顔をしている人も、ヘッドホンには、別の音楽が流れていて、そっと開いた文庫本には、別の言葉が記してある。秋にはそういうことを思い出すかもしれない。