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  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その9

 



エンパイア・ステート・ビルディングを何時間も見続けるのはどうだろうと考える。エンパイア・ステート・ビルディングを何時間も映し続けた映像を見続けるのもどうだろうと考える。山登りを何時間も続ける映像を撮影していた時期があった。歩きながらカメラで撮影し続けるのもどうだろうかと考えていた。歩きながら色々に風景が移り変わったり色々に話をしたり時々ご飯を食べたりするのも撮影してみていた。エンパイア・ステート・ビルディングを何時間も映し続けた映像はそれ自体が退屈であると思うけれども、自分は退屈な映像を記録したいのではなくて、あくまでも現実の時間と同じ時間の持続を記録したいと思ったのだから、山登りの映像はそのような考えを実際に見えるかたちにしてみるために(そして検証してみるために)もってこいだった。


・その映像を数十秒にカットしてメールに添付して一緒に山に登った友達に送ったりするのも楽しかった。その映像を見返すことはあまりない。その映像は「xacti」というカメラで撮影していた。その映像を撮影する行為から少なくない何かを学び、その映像を撮影することから、自分の新しいアクティヴィティを考えることができた。自分が撮影した映像は、誰かが撮影した映像よりも、自分のガイドになる可能性が高い。(回りくどい言い方なのでもう少しストレートに言えば)自分が撮影した映像によって、自分の新しい興味を知ることができる。少し涼しくなってきたら(少し時間に余裕ができたら)そういう新しい映像を撮影したいと思う。