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  映像研究

オリーヴのようなもの

 
・「3日と18日はOlive」という概念を今でも忘れられない今日この頃。何故それを思い出したかというと、全く備忘録を記していないまますっかり4月も半分を過ぎ、「おうこのペースだと1ヶ月に二度更新される備忘録か、まぁそれも悪くはないのかな」と思ったからなのであって、しかしながら備忘録はただの備忘録でしかないのだし、この数ヶ月でそれほど生活習慣や興味の方向が変化したわけでもなく、また世に言われる(?)ほどtwitterで頻繁に呟いていることが原因というわけでもないはずなのに、一体どうしてブログを書く気がおきないのか、というのは、かの宮沢章夫という人でさえも気にしている2010年日本の、ある心理なのだと思う。



・しかしこの期間全然春らしくなく、外出するのすら億劫なのも問題だ。自分としてはもともと春は全く好きではなかったことの理由が、「意外と寒いから」であったので、そうだろう、だから言ったじゃないか、と思う一方で、ここまで寒いと何か申し訳ないような気になったりしないこともないような、そんな妙な心境であったりする今日この頃。この春に移転することが決まった知人のお店の撮影をしたり、近所の裏山で撮影の練習をしたり、山菜狩りの下見を兼ねて久々奥多摩をトレッキングしながら撮影したりして、そしてその撮影した写真や動画を部屋をimacのモニタに映して真っ暗くしてぼーっと見ていたり、筋トレのようなことをしている。あるいは例に漏れずテレヴィジョンを持っていない自分だからこそ週に三度は「DOMMUNE」を見ている。



・あるいはまた先週末は水戸芸術館へ『リフレクション/映像が見せる”もうひとつの世界”』を見に行ったりもしていた。土曜日の午後からアート番長Rくんを誘って車で水戸へ向かったならば約2時間で非常に近い。土曜日はそのままビジネス的なホテルを確保して晩ご飯を食べつつあれやこれやを話し、翌日朝から水戸芸へ。午後からはこの水戸行きの目的でもあったトーク・セッション「アートと映像ー公共性をめぐって」(大友良英坂口恭平/藤井光/モデレーター:毛利嘉孝)を見に(聞きに)行く。トーク・セッションそれ自体ももちろん興味深かったものの、とにかく坂口恭平という人はいつも大抵面白い。最近のDOMMUNEもそうだけれども、去年のこの時期京都の「hanare」のトークも記憶に新しい。



・そんなこんなで4月。