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  映像研究

FRESH&

 
・FRESH&。フレッシュ・アンド。フレッシュ「と」。フレッシュと何か。新しいことと、その新しいことの隣にまた別の何かを並べてみること、あるいはその何か。あるいはその「隣」。あるいは並べてみるということ。そういう断片とスケールに思いを馳せながら今年の最後の日を過ごしてる今は2011年の12月31日。30日までは業務。業務終了後には2011年の最後の外食。ワインの美味しいお店で美味しい食べ物もたくさん食べた。贅沢をした。贅沢だった。そういえば数日前に職場のチーム同僚と帰りがけに2011年を振り返りつつ話していたときに「今年はどんな年でしたか?」と聞かれて思わず「今年は今までで一番良い年でした」と答えてしまった。しまった、ということもないのかもしれないのかどうなのか、いずれにしても「良い年」と言葉にすることに対して多少の、かなりの、とても、ためらいを感じつつも、それでもやっぱり悪いことがたくさんあったにも関わらず、良いことがたくさんあった年だった。特別な年だった。人とたくさん話した年だった。何だかわからないうちに時間が過ぎた。不思議に時間が流れて今。



・今フレッシュ、と口に出してみて、今フレッシュについて考えていて、はっと思って、思わず「2012■FRESH」と表記された、自称・年賀状、のようなものを作ってみた今。「■」には特に、というか全く意味がない。デザインです。今は2011年の大晦日。FRESHの背景には岩飛沫の写真を大胆にあしらってみた。そんな岩飛沫の写真をだいたんにあしらったりすることも、冷静に考えたならば、2011年から2012年に移り変わる今、ちょっとはばかられるようなことなのか。どうなのか。わからない。わからないという気持ちを持ち続けて約9ヶ月。色々な困難を一挙に洗い流すことよりも、その困難の隣に何か別のもの、別の言葉を、別の場所を、別の物を、別の人を、別のイメージを、別の時間を、並べてみるような形式の「FRESH」はあり得るだろうか?どんなに「暮らしづらい世の中だなぁ」と思ってしまうような法や制度ができたとしても、その中でも楽しく過ごすことはできるのだろうか。そして自分だけが楽しいのではなくて、他の誰かも楽しいと思えるような、そういう状態があり得るのだろうか。そういう気持ちで今。



・新しい時間が来て今。同じでありつつ違いもするつい一瞬前のそのつい一瞬後であるような今。毎年12月31日には今に思いを馳せることができる。そういう特別な時間としての年越しが普通に好きだ。普通に好きだという気持ちを持ったまま次の一瞬に足を踏み入れる。出会えた人も出会えなかった人も、来るべき年が良いものであるように願いつつ。