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  映像研究

東北へ行く記録・4日目

 
・6月29日(水)。基本的に晴れ。約30℃。本日も5時半に起床して旅館の朝食を食べつつ目を覚ます。白米をおかわりする。メロンを食べる。コーヒーも飲む。荷物をまとめて御礼を言ってお支払いを済ませたならばお昼ご繁用のおむすびを受け取って、お土産にと河童のストラップを貰った。4色の色違いで4人が4つ貰った。ビーズでできている。早速携帯電話に付けてみる。人生初・ストラップはビーズの河童だ。車に乗り込んで本日の行程を確認。まずは昨日までと同様に釜石へ向かって、そこから日本海側のリアス式海岸のリアス部分を南下して、津波の被害を受けた地域を見学して、途中からはもちろん高速道路に乗って、最終的には東京へ帰る行程。


・2日間ではあるけれども朝通った釜石の中心部分をもう一度眺めつつ国道45号線を南へ向かって大船渡へ。海に近い場所を車で走る。時々車を停めて風景を見る。津波によってほとんどの建物が壊れてしまった風景を見る。また車で走る。大船渡から南西に移動して陸前高田へ。道路が壊れてしまったのだろう、新しく造られていてその道路を走る。入り組んだリアス式海岸のアップダウンを繰り返しながら「ここまで津波が来たのだな」などと思いながら車を停め、風景を見て、また車を走らせる。更に移動して気仙沼へ。途中ジャスコにて昼食のおむすびを食べる。ジャスコも1階は水が来ていたらしかった。


気仙沼から南三陸町へ移動する。海岸線を走る道沿いの場所は津波の被害を受けているところがほとんどだった。橋がなくなっていて仮の橋で繋がれていたり、鉄道の線路も途切れたりしているのを見る。まったく不謹慎なのかどうかわからないけれども、続けてそのような風景を見ていると、だんだんその風景がどういう事なのかわからなくなってくる。何かを/例えばその場所の過去や未来を/想像することなく見ることも、それが態度としてどうなのかと思いながらも、ただそうとしかできないのだからそうする。南三陸町からは一度内陸に入って北上川を何度か渡りつつ南下して石巻へ向かう。


石巻の小高い丘のようになっている公園で車を停めて、その場所から津波の被害を受けている海沿いの地域を見る。海と陸の境界を見下ろす風景では、人や車が動き続けていて、その場所を再び街として機能させるために多くの人が働いている様子が見える。工事車両が「がれき」と呼ばれる何かを持ち上げたり運んだりする音が重なり合って響く。一緒にいる4人でしばらくその風景を見る。観光(という言葉が適当なのかどうなのかわからないですけれども)に来ていた人も皆一様にその風景を見ていた。あるいは写真や映像として記録していた。夕方でもあったのでその後はそのまま東北自動車道へ向かう。またしばらくの大移動。18時に高速道路に乗って、23時半に国立へ帰ってきた。




・(追記)この旅行のあいだ、街道沿いのガードレールにくくり付けられた横断幕や、商店に貼られたポスターや、国道のための電光掲示板や、あらゆる色々な場所で「がんばろう」という言葉を読んだ。「がんばろう」という、その言い方に、方法に、何かを意見を差しはさむようなこともできるのかもしれないけれども、しかし、やっぱり「がんばろう」という言葉の、的確な重みのようなものを感じた。そしてまた「がんばろう」の前後には、その場所の名称が示されていることが多い(ex「がんばっぺ!気仙沼」)。東京にいて「がんばろう」という言葉と「国の名称」が直列で繋がれることに、事の大きさは感じられても、それ以上の感覚を持てなかったのに対して、その場所の名称を、その場所の人びとに向けて伝える公共広告の言葉は、特別な力を持っているように思えた。