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  映像研究

2011年度の最初の3日

 
・4月1日の金曜日。春の業務は今日でとりあえず最終日の備忘録。ランチの時間に蕎麦など食べつつチーム同僚に恐る恐る「今の状況」についての話を振ってみる。「福島のあれのそれは…どういう感じだと思ってる?」「あれのそれについて…何かしら対策のようなことは考えているかい?」というような話。恐らくは色々な職場にてこのような話がされている。されていることを願う。これからまた少なくとも一年間チームを組んで業務をする上でも「今の状況」について、あるいは「『今の状況』について話し合うこと」について、話しておかなければいけない。別に共通の認識を作ることが目的でもないし、知識を交換することが目的でもない。ただ、この瞬間も「東京にいること/いなければいけないこと」そのことで気持ちがブルーになってしまうような認識の人もいれば、そんな人をナイーヴすぎると思っている人もいる。すべての人がその振れ幅の中にいる。だから話そう。蕎麦など食べつつ話して聞こう。いつもは全く平常心の後輩女子が、父親から「何かあった時の為に」とパスポートを取っておくように言われたという話も胸に迫る。色々な認識と色々な対応がある。


・業務終了後は『天然住宅』の田中優という人のトークイベントに行ってみようかと思ったのだけれども、1杯だけのつもりのチーム同僚との打ち上げが思いのほか白熱したのでそのまま続行することにする。知らないことを知る為に、知っている人の話を聞きにいくことも大切だけれども、誰もが普通に考えていることを、いつも近くにいる人と話すことだって大切だ。それは知識ではなく知恵に関すること。あるいは智慧か。そうしていつもは美術に関する勉強をしているメンバーだったからこそ、話題は「社会的なアクティヴィティと表現」に向かう。あるいは「思想信条的:生まれ育ち」が自分の考えにどのように(無/意識的)影響を及ぼしているのかなど。かたや役所の家に生まれ、かたや農協に勤める親を持つ人の話を聞く、一方そんな自分は完全にレフト・ウィング、あるいはレッド・フラッグなバック・ボーンを持っているので、それはそれでまた極端だということをあらためて認識する。そしてところでなぜ都知事選は全員が全員揃いも揃って「無所属」なのか。「所属」とは何か。そもそも「党」とは何なのか、などなど素朴かつラディカルにディスカッション。


・そうして喋りすぎて(食べもしないでビールばっか飲んでた)お腹が減っていることに気がついて東小金井で途中下車。某カレー屋ことDFJでディナー。こういうタイミングで必ず遭遇してしまうJ先輩とその友人に混ざって喋りつつ飲食。ここでも話題はもちろん「今の状況」についてだ。そして「今の状況における都知事選」は自分の知る限りもの凄い関心事になっている。この数日誰もが誰か話しているのは「twiiterのTLを見る限り『現職の人』に投票する人なんて誰もいないんじゃないか」ということだが、同時に「しかし一方マス・メディアでは『現職の人が圧倒的に優勢』という報道がされている現実」ということもある。そう考えると自分はもしかすると東京の中のある特殊な村に住んでいるのではなかろうかなどと思ってしまうのだが、そんなことをあれこれと考えていても仕方がない。ともかく「現職の人」(と「居酒屋チェーンの人」)には何とか当選しないでもらって、可能ならば「ラーメンが好きそうな名字の人」か、最悪でも「頭がつるっとした元軍団の人」に当選してもらいたい。自分に出来るのは一票を投じることと、都知事選についてああだこうだと話すことだけだ。帰宅してインターネットを見たならば「世論調査.net」というサイトの事前調査で驚異的な結果が出ていて、もはや爆笑。「ラーメンが好きそうな名字の人」が独走状態。エイプリル・フールでないことを祈りつつ就寝。


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・4月2日は土曜日。久しぶりに休日。社会の人の平均と比較して恐らくは3倍(以上)休んでいるにもかかわらず、それでも休日はやはり有り難い。昼過ぎまで各種情報を見たり読んだりする。登録しているメーリングリストにも有益な情報が多いのだが、多すぎて見たり読んだりできないことも事実。情報を選ぶ。選択する基準は「おしゃれそうかどうか」だけである。おしゃれなウェブサイトを見て、おしゃれな映像を視聴。おしゃれなテキストを読み、おしゃれなメールを書きたい。正しく丁寧に並べられた表現、伝えたい気持ちをその人なりのやり方で誠実に伝えようとしている表現。そういう表現に敏感でありたい。そしてテレヴィジョンの代わりに朝からUSTREAMを観たりもする。昨日の『天然住宅』の田中優という人のトークイベント。そして『ThinktheEarthプロジェクト ほんとうの震災を知ろうーわたしたちにできること「原発震災からエネルギーシフトへ」』のイベントはリアルタイムで。相変わらず「髪がもじゃっとした脳関係の人」の言っていることはあまりしっくりこないが、午後からは飯田哲也という人が話をしていて、そこは特にしっかり観たり聞いたりする。しかし昼寝もする。


・夕方から出かけて吉祥寺のはずれにある特別なコーヒーを飲むための特別な店に行く。実に半年ぶりのことで移転して以来二度目だけれども、そこに行くときはいつも程よい緊張感を味わう。その店の特別なコーヒーを飲みつつ店主と話す。ここでもやはり話は「震災のこと」になる。このような緊張感のある空間で感じた地震の「揺れ」について、今現在も予断を許さない「福島第一原子力発電所」の事故と関東への影響について、あらゆる「自粛」について…などなど。そしてしかしそこで自分は、地震の揺れそのもの、あるいは津波によって、大きな被害を受けた、いわゆる「被災地」という場所のことをあらためて思い出す。もちろん別に忘れていたわけではないのですけれども、ものすごく雑に言って「原子力発電所の事故が恐ろしすぎて『被災地』のことまで考えられない」状態だった。そうして今まで色々な災害の復興支援を手伝ってきた店主に、そのときの話など聞けば、壊れてしまった街を直す、ということが具体的にどのようなことなのか、少しだけ想像することができた。


三寒四温が今ひとつ温側になびかないこともあってすっかりからだが固まってしまっているので銭湯へ行ってストレッチ。あらゆる学習、あらゆる活動、そしてあらゆる生活は長期戦だから、からだのコンディションを保とう。その後高尾に戻ってきていたT夫妻の家に行く。借りていたカメラのレンズを返却して、貸していた書籍を返却してもらう。この期間、祝島・田ノ浦に一緒に行ったりしたこともあって、いつにも増してメールやリアルで会話を続けてきた夫妻ともまた色々と話す。恐らくTくんWちゃん含め、よく遊ぶ友達は「今の状況」についてかなり近い認識を持っていると思うが、繰り返すことは(自分で自分に確認しておきたいことは)その認識に「正解」はないということだ。仮に今後「福島第一原子力発電所」が安定していこうとも、逆に事故が酷くなろうとも、その結果は「今の状況」に対する認識の回答になるわけではない。だから本当に「危険だと思って逃げたが何も起こらなかった」とか、その逆だとか(想像もしたくない/しかし想像しなければいけない)ということについて、一貫性を求める必要はない。唯一一貫しているべきであろうと思う(それですら任意…なのだろうか?)ことは「自分で考えて判断することをやめない」ということだけであるという理解。白熱しつつそんなことを話したならば、いやー最近「友達っていいね」って思うよね。という不思議なテンション。日常が極端になった新しい日常。しかしそれは日常なのだから落ち着いて生活する。


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・4月3日は日曜日。昼から野川公園にてDFJのお花見。はらっぱの隆起した部分にわらわらと集まりざわざわと飲食。花見を自粛することの意味がわからない。集まって話をすることの素晴らしさ。作ってきた料理を頂くことの面白さ。桜は一分咲き。「蕾み見」だ。時折太陽。三寒四温の寒。ジャージ姿の女子たちが「原宿行きたい」とか喋りながら四葉のクローバーを探していた。犬が走る。川。ビール・日本酒・ワイン。無限の前菜。木登り。集合写真。寒いので移動。


・夕方から店舗に移動する。店の隅で睡眠。鍋が出来て起こされる。夢うつつで鍋。夢うつつで鍋の美味しさについて話しているつもりが、途中から「都知事選」と「4月10日の高円寺デモ」の話題となって作戦会議風歓談。その後は3月末に石巻にボランティアに行った方に写真など見せてもらいながら現地の状況を聞いたりもする。目が覚める。昨日に引き続き「東京から北」の話題について聞いて現実的に自分が行くことも考え始める。24時帰宅。寒。