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  映像研究

その次の3日

 
・3日おきくらいに日々の出来事を書き留めておく備忘録がもうしばらくずっと続いている今は4月4日の月曜日。この期間出会った人と話した内容聞いた内容を可能なかぎり残しておこうと思ったこれはメモ。新しい週が始まってすっかり季節は春だから冬のあいだ庭に放り出されていた鉢植えもまったく新しくそして去年と同じサイクルを始める。朝から業務の準備に新宿へ。あれほどしたくなかったマスクをして出かけてみる。一ヶ月前に街を歩いている人のマスクはほぼ100%「花粉」によるものだったのだから、それを見て「お、仲間発見」と思っていたのだけれども、今やマスクは完全に違った意味を内包する非常にセンシティヴなアイテムとなっている。ちなみに友人のCJM君曰く西東京のある街には、マジックで「花粉」と書かれたマスクをしていた人がいるとかいないとか。優しさあるいはパフォーマンス。


・そうしてアフター・スクールには高円寺で下車。デモの下見のためではなく「ソウルメイツ」こと(一昨年のちょうど春に一緒にソウルに行ったので)Hさん&Sさんと、もちろん震災以来の久々の飲食。ベトナム料理屋にて11日からの日々と思考について意見交換。Sさんは自分の知る限り最も早く西に移動を始めた人の一人だったので、震災から数日しか経っていなかったそのときに考えていたこと、そして西で生活する中で考えたことについて、さらに東京に(とりあえず)戻ってきた今考えていることについてなど聞く。そして話す。東京の今について。そして被災地でない/被災地でもある首都・東京について。東京の空気(呼吸するものとしての/雰囲気としての)について意見を交換する。こちらは祝島で見たことや聞いたこと、そして上関と東京を移動する中で考えたことなどを話す。まとまらなくても話す。ずっと鞄に入れていた小出裕章さんの冊子『<2時間でわかる 原発の危険性のおはなし> 小出裕章講演録 「原発計画30km県内の光市民として」』を「ぜひ読んで欲しい」とSさんに渡す。24時帰宅。







・今この瞬間にも全く最悪に毒である水が海に流れつづけている4月5日。普通に考えると普通に言葉を失うしかない全く普通ではない出来事が起こりつづけている。「海」には「プランクトン」がいて、「土」には「微生物」がいる。そうしてそれはほとんど「生命の全て」であるという普通の想像力を働かせたならば、全く普通の気持ちではいられないがとりあえず今日も自分は生きている。国境もイデオロギーも何も関係ない「生命の全て」に、最悪の毒が撒かれそして流されている、そしてそれが続いていくであろうことをどう考えるのか。それはもう想像力の問題だ。想像力を持続させること。


秋葉原へ行く。ほぼ10年ぶりに秋葉原のラジオ・デパート的な場所にやってきたのは「ソーラーパネル」という「新しいおもちゃ」を購入するためだ。周りの友人と「夏場の扇風機くらいから始めてみましょうか」と相談していたのはちょうど一ヶ月前だが、今こそその実験を再開してみるのも良い。今すぐに家のエネルギーを完全に自給自足にすることは不可能だし、もしも電力会社をボイコットできたならばそれは世にも素敵なアクティヴィティだがそれもなかなか難しい。しかしとりあえず電気というものが、どのようなもので、どれくらい必要で、どの程度仲良くなれそうな物なのか、知っておくと働き始める種類の想像力がある。色々見たけれどもやっぱり品揃えが良いのは「千石電商」と「秋月電子」。そして秋月で1000円の実験用のキットみたいな物を購入。もしもこれで携帯電話やipodくらいの電気を自給できたらそれはそれでとりあえず面白い。


・夕方からは代官山UNITへ。ちょっと早く着きすぎちゃったかな?と地下に降りる階段の前まで行ったならば「一体どんな大物DJが来日しているのか」という行列が遥か恵比寿方面まで続く風景。しかしマスク率と年齢層の高さは異様だ。田中優という人のトーク・イベント『今、放射能原子力発電に向かい合い語り合う〜電気と僕たちの“新しい未来〜』へ。「代官山UNITにエネルギーの話を聞くために東京中から人々が集う」というその部分だけを考えたならば、まるでいつか想像したような理想の未来である。しかしその未来がこのようなかたちで実現されることが残念であるとも言える。それにしたって完全に完全な満員御礼で500人が入ったところで入場制限されるほどの大盛況。僕の後ろに並んでいたT部長&Wちゃん、そしてRくんは入ることができず。残念。ビールを飲みつつ立ち聞く。


トークの内容は、今まさに福島の原子力発電所でどのようなことが起こっているのだろうかということ、そして今現在大気中あるいは海に放出されているという放射性物質は環境及び人間にどういう影響を与えることが考えられるかということ。それはまさに「今誰もが知りたいと思っている情報」だ。そして後半は、では原子力発電からどのように別のエネルギーへ、エネルギーの仕組みへ移行することができるのかという非常に具体的な話。更には被災地の復興に「天然住宅」の住宅がどのように活かせるかという話も。ともかく久しぶりに本当にプレゼンテーションの上手な人の話を聞いた。気がつけば2時間。「スマート・グリッド」という知っていたようで全然知らなかった言葉の意味を知った。なるほど「東京電力という会社が倒産したならば『送電網』を担保にして、そこから電力の自由化が始まる」という話は非常に具体的である。そしてしかし思う。「都市」はそれでうまくいくのかもしれない。しかし自分はそれともまた少し違うことを考えたいという率直な感想(勘)もある。どのような状況であれ「自由化」という言葉にちょっと恐ろしさを感じるということもある。しかしともかく面白かった。


・終了後にRくんと待ち合わせして新宿のお好み焼き店にて色々意見交換。美術の、あるいは広義の「クリエイティヴ業」の人が、今このような状況に対してどのような「アクション/リ・アクション」をできるのかについて、最近思っていることを率直に話してみた。「チャリティー」も「義援金」も集められなくても、かつ「癒し」も「活気」も与えられなくても、今自分が「表現として出来ることは何か」について。いや、そんな「○○として出来ること(定型文)」という回りくどい良い方すら必要ではなくて「表現することは何か」「何を表現するか」について。多分そのような問いだってあって良いのだと思う。もちろん「デモンストレーション」だって「表現」のある基本的なものだと思う。引き続き考える。24時帰宅。


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・4月6日の週の半ばは水曜日。もうしばらく曜日の感覚がそうだ気がつけば一ヶ月近く無くなっているが、それは実は日常から自分はそうであるのだ。特別な状況には「いつもの状況」が極端になって反映される。午前に図書館に本を返しにいく。そしてまた借りてくる。『NHK地球データマップ 世界の"今"から"未来"を考える』を読んで、社会の「しくみ」について今一度考える。その「しくみ」は原子力発電所とともにある「しくみ」でもあるだろう。考える。


・花見へ行く。昼過ぎにT夫妻が新しい中古車(って変か)で迎えに来てくれた。薄水色の可愛らしい軽ワゴンの車に乗って春らしい気候のもと立川方面の秘蔵お花見スポットへ。国立ガールズに「ユートピアみたいな場所だ」と説明されていて「そんなものは全く説明になっていない」と思っていたが、着いてみると的確にユートピアみたいな場所だった。川が流れて、土手があり、橋が架かり、花が咲き、そしてもちろん桜も咲く。そしてそれらのサイズが全部少しコンパクトなのだから、何だか風景としてちょっと不思議な場所だった。そこでわらわらと集まった8人が、色々なものを食べて、お酒など飲んだならば、それは完璧な「花見」だ。手製のおはぎを食べる。手製のクスクスも食べる。買ってきた寿司も食べる。色々食べる。そしてギターを弾いて歌など歌う。自分も唯一弾ける曲を弾き歌う。「南風は/やがて春に山を登り/土を濡らす/暖かな雨になる」というフレーズが好きな歌。その歌を歌う。集合写真撮影。夕暮れを待たずに移動。


・その後国立のA邸に移動して真剣30代しゃべり場 in 国立(山部)・第2回。ちょうど今日はDOMMUNE坂口恭平の「都市型狩猟採集生活」が放送され、前回に引き続きエネルギーについて、そして原子力発電所について話すということで、それをパブリック・ヴューイングしつつ、モニターのこちら側の私たちも私たちなりの意見交換。自分は今、何に怯えていて、何がわからなくて、何に怒っていて、何に絶望しそうになり、そして何がわかったのか。ひとりずつ違う。でもだからこそ話すことには意味がある。あるいはまた誰が誰に呼びかけるわけでもなく、4月10日に高円寺で大規模な(だといいなぁ)デモがあるらしいのだから、それには行ってみようかという話。例えば自分などは完全に「デモ=おしゃれ」という認識なのでそもそも別に問題ないのだけれども、ある人にとってはやっぱり「デモ」はなかなかハードルが高いようなのだ。そこに行き、自分は何を「デモンストレーション」するのかという疑問もある。その疑問から「じゃあ、原子力発電所があり、その施設が事故を起こすことによって、自分(たち)は何を失って/奪われているのか」という議題でも話は進む。「土」だという意見も出た。「水」だという人もいた。「命」だという言葉もあった。人が何を大切だと考え、どういう生き方をしたいと思っているのかを知る。


・そういうことをこっそりと話し合うということが(実は/あからさまに)自分は本当は好きだ。これまでも隙を見ては歓談の最中にカルチャーの話題の合間に「思想信条」や「政治的意識」のような話を滑り込ませてきた。だからこのような対話が繰り返される日々はそれ自体素晴らしいとも思うが、それはこのような悲惨な出来事の結果として訪れる。勘を働かせるために情報を得て、考えを深めるために更に対話を続け、そしてその中でやれることをやれるときにやる。26時帰宅。