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  映像研究

anan

 
・日曜日の業務。久しぶりにほぼ丸半日の業務でワーキング・HIGH。あるいは灰。それで業務終了後に職場近くの東京一ジャンクな焼肉店(決して悪い意味ではない/良い意味でもない)「anan」(伏せ字)にて打ち上げる。なんとかカルビ的な肉が大抵190円とかで提供される、色々なことを深く考えてはいけない飲食店(決して悪い意味ではない/良い意味でもない)。小一時間だけのつもりが結局3時間ほどの会合になる。最初の30分だけは業務に関連した事項を話し、残りの2時間30分は主に「anan」(雑誌の方)のような話題、肉を前にして「狩る/狩られる」のような話題で12月の東京の夜は過ぎ去ってゆくのでした。



・それにしても緩やかに年内の予定が埋まりつつあることを再確認。ほぼ業務。夜は数件の忘年会で気がつけばあっという間に2010年も終わってしまうのだと思うと、普段はそのようなことを全く考えないにもかかわらず、さすがにちょっともう少し、何かやり残したことがあったのではないかと考える師走の下り列車は24時。それでもまぁとりあえずは今週木曜日の山部の忘年会が楽しいかんじになればそれで良い。部長のBDパーティーでもあるのだよ。



・25時前に帰宅して「あっ」と思って2010年の通信技術を駆使して『Q10』の最終回を観賞。いやはや、とんでもないことになってしまった。何故こんなにも切実な問題が土曜日の夜9時にテレヴィジョンで語られなくてはいけなかったのか。少し呆ける。木皿泉という作家は、きっといろいろな種類の言葉のカタログのようなものを作りながら、そして自らの過去の場面やフレーズを引用しながら、そして限られた幾つかのロジックを使って、最高到達点を少しずつ、確実に更新してゆくのだな、と思った。真夜中に。群像劇である今回のドラマでクリスマスな最終回はほとんど「祈り」だったと思う。「世界平和」という言葉が適切な意味でメッセージされるためには、どのような条件が整えば良いのか。そのひとつの解答例を観る。



・「世界中の人が、何とか食べていけて、最悪の事態を避けることができますように。」と連続ドラマが言っていた。