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  映像研究

2009年の(断片的な)夏休みの備忘録・その2(アカデミック編)

 
・7月25日。土曜日。晴れ/曇り/雨が繰り返される不思議な天候の午前。洗濯物を干してもちょっと乾きかけたと思ったら雨。慌てて取り込んだ次の瞬間にはもう晴れ。忙しなく変化する天候に翻弄される朝。しかしこれはこれでまた夏っぽくもある、ような気がしないでもありません。そしてだって今日は(今日も)断片的な夏休みです。



・昼過ぎに家を出る。何だかこの土曜日に限って「宮沢章夫ゴダール」とか「駒場東大でも雑誌創刊に関連した何がしか」だとか色々と興味深いイベントが同時多発的に開催されていつつも、とりあえず自分は高田馬場から早稲田大学へ向かい、下記のようなシンポジウムを聴きにいってみる。この3月のソウル旅行(スユ+ノモ訪問)で感じ取った印象を次の(自分にとって実際的な)ステップに進められるかもしれないというような期待も込めて。あるいは今ちょこちょこっと読み進めているデヴィッド・グレーバーという人の『資本主義後の世界のために (新しいアナーキズムの視座)』という本を理解するための手引きとして。ちょうどシンポジウムのはじめと終わりを完全に聴けなかったので、やや消化不調な感はありつつも、いくつかのキーワードをメモしてみたりした。

国際公開シンポジウム「反グローバリゼーション運動の可能性 資本主義の終わりのために」
日時:2009年7月25日(土) 14時〜17時30分
場所:早稲田大学 早稲田キャンパス10号館 109教室(大隈銅像後方)
基調講演:デヴィッド・グレーバー(ロンドン大学ゴールドスミス校准教授)
対論者:李珍景(スユ+ノモ研究員) 池上善彦(『現代思想』編集長)
主催:早稲田大学 梅森直之研究室 グレーバー来日シンポジウム実行委員会

・そして上記のイベントを後ろ髪を引かれる思いで早退したならば、東京メトロを活用して東京大学本郷キャンパスに移動する。完全にアカデミック・ウォッチャーな人の休日になってしまったけれども、ともかく夕方からは一転下記のようなシンポジウムを聴きにいってみる。「メディア・アート」というものを(ある一時期だけではあるものの/それなりに真剣に)学んできた自分のような人間にとっては「今一体それがどのようなものとされているのか?」について単純に興味もありつつ、しかしちょっと知るのが怖いような微妙な思いを持っていたのだけれども、それはさておき今はむしろもう少し広義の「社会」における「テクノロジー」をどのように位置づけるのか、というような話が聴いてみたかったものだから、そして結果的にまさにそのような話の展開になったので、聴きにいった甲斐があった。

東京大学大学院情報学環×東京藝術大学大学院映像研究科 シンポジウム「メディア・アートとは何か?」
主催:東京大学大学院情報学環 東京大学大学院 情報学環・学際情報学府
共催:東京藝術大学大学院映像研究科 東京芸術大学 大学院 映像研究科
日時:2009年7月25日(土)15時30分−19時30分
会場:東京大学本郷キャンパス大学院情報学環 福武ホール 福武ラーニングシアター
≪第一部『不完全な現実』をめぐって≫
藤幡正樹(問題提起)+ 石田英敬(対論者)―
≪第二部「メディア」×「アート」≫
藤幡正樹建畠晢石田英敬、司会:松井茂(詩人)―


・今となってはあの、世紀をまたぐ一瞬を思い起こす(懐かしの)「インタラクティブ・アート」というカテゴリーについての言及や、あるいは現代の『「社会」における「テクノロジー」』の問題の一例としての「モスキート」についての言及など、特に藤幡正樹という人の発言と、またその語り方について興味深く耳を傾ける。



・シンポジウム終了後は本郷から(とりあえず)新宿に移動。同様にとりあえず新宿に移動したメンバー、つねに現代的なアートを見続けている盟友R君と、何となく居ちゃった業務の後輩TM君との3人の不思議なトリオで会食。妙なテンションでの「00年代総括」と「仮想敵?乗り越えられるものとしての?秋葉原カルチャー」みたいな話で話したり話さなかったり、盛り上がったり盛り上がらなかったりする。日付変更前にはちゃんと解散。夏はまだまだこれからなので。