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  映像研究

2009春・ソウルの旅・後半

 
・ハイ・アートからハイじゃない・アートまで観賞/体験する21日(土)。ソウルは広い。とても広い。わたくし完全に軽く考えておりました。毎日毎食別のタウンに滞在する面白さ。今日は昼から「サムチョンドン」へ。あえて日本で言うならば、代官山?中目黒??あたりなのでしょうか。並木道沿いには新しい西洋風のレストランやコンテンポラリー・アートのギャラリーが立ち並び、しかしその脇をちょっと入れば、おそらくは古くからあるであろう住宅街が存在する。そのようなギャップも街歩きの醍醐味とばかりに、歩き/写真を撮影する。昼食は「牛の頭の肉(?)のスープにご飯が入ったもの」の専門店でこれもまた美味すぎ。「マシッソヨ(美味しいです/数少ない韓国語のキャブラリーのひとつ)」と言うと、どんどんおかわりを持って来られてしまうから、「もうお腹いっぱいで食べられないよ」というジェスチャーを加えてみる。文字通り掛け値なしでの「サーヴィス精神」はなかなか手強いのでした。


・そして夕方からはこの旅行のもうひとつの目的である「ムッレ(ムルレ)」という街の工場ビルの一部をアーティストたちがアトリエとして使っているプロジェクト(?)を視察しにいく。このプロジェクトの前身として2004年〜には「オアシス・プロジェクト」というものがあったそうで、それはいわゆる「スクウォット」つまり建物を非合法的に占拠するような方法で、場所との関係を作ろうとしてきた運動だ。ビルの屋上などにも上がって展示してある?作品を鑑賞。廃墟のようなビルの屋上にはアート。そしてその先にはピカピカの商社系ビル群と高層集合住宅が見える。写真を撮ろう。ちなみに訪れたこの日はちょうどその一連のビルの中の『labo39』というギャラリースペースで始まる展覧会の初日で、全然詳細のわからぬままにオープニング・パーティー的なものに紛れてみる。ホットワインを片手にパフォーマンスなどを観賞する。


・その後地下鉄でソウル駅方面に帰る途中の学生街「シンチョン」で途中下車して晩ご飯。ガイドブックを見ながら「ガイドブックに載っている店」に入ったつもりが全然ガイドブックには載っていない店だった。そんな失敗も旅の醍醐味(多分)。繰り返しますが、ソウルの夜は長い。そんなわけで食後のお茶をするためにその隣の駅、芸術系の学科がある大学があって、若者カルチャー(ってなんだ?)で有名な「ホンデ」にも途中下車してみる。普通に吉祥寺の東急裏あたりにありそうなカフェでお茶。文化とも芸術ともソウルとも関係のない謎の人生相談を人生の先輩方にしてみたそんな夜でした。どれほどソウルの夜が遅いとはいえ12時にはカフェだって閉まる。調子に乗って(?)連日のタクシーで帰宅。このあたりから大分ソウルの地理関係が頭に入ってきたように思います。



・早くも実質的な最終日となってしまった22日(日)。昼から再びソウル市内を西に移動して「ムッレ(ムルレ)」へ。前日のオープニング・パーティーのほんの隙間に編集長がアポイントメントを取っていた「オアシス・プロジェクト」のアーティストの方の取材。5日間の滞在の中でたった3時間だけ撮影班としての仕事モード。「スユ+ノモ」同様に、困難な社会の状況の中でやれる(というか「やり続けている!」)ベターでベストな方法について考えさせられたりもする(ものの撮影中はあまり余裕がない/詳細は他のメディアをご覧下さい/なかなか面白いことになっていると思われます)。


・チーム・ソウルでの仕事終了後はこの旅行で初めての「自由行動」になり、内心相当にビビりながらも「地球の歩き方」を片手に(こっそりとポケットに持って)単身ソウル市内をブラブラする。そしてせっかくなので個人的なこの旅行の目的のひとつでもあった「韓国アウトドア・シーンのリサーチ」を決行。ちょうど今月号の雑誌「BE-PAL」の「ウォン安のソウルでアウトドアグッズを買い漁ろう(っていうのはどうかと思いますが…)」の記事が気になっていたのでした。「南大門(ナンデムン)」と「東大門(トンデムン)」を移動して「明洞(ミョンドン)」にも下車。結論から言うと「インポートものが高過ぎる」。ちょっと考えてみれば当たり前なのだけれども、もしも全体的に物価が日本より安いのだとしたら、あんな値段では「ワーキングプア」な人でもそうでなくても、アークテリクスなんて全然無理で、モンベルでさえも買えないのではないだろうかと思う。ちなみに、すっかり「ウォン」で生活を考える頭になっている自分にとってアパレル系の物のお値ごろ感はといえば、ユニクロはやや良いお値段だし、アメアパは個人的な感覚だと買う気がおきないくらいかなり良いお値段。APCに至っては少し悲しくなるくらい良いお値段でした。


・と勝手にソウルのヤングのファッション事情を憂いつつ(かなり本気で/だってそれは必要なことだと思うので)も、晩ご飯には再び3人で集合。ラスト・ナイトに相応しく(?)肉をその他を食らいまくるために今度こそガイドブック片手に「ガイドブックに載っている店」を探し当てて無事到着。ちなみにお待ちのお客様は約半数が日本の人の店で全員がガイドブック片手。最後の夜にして、いわゆる「韓定食」というか韓国の白いご飯の食べ方がわかってきた気がする。だから多分住める(一年くらいなら)。食事後には「もうやれること全部やっとこう」的な、修学旅行的な(?)発想からこの旅行二度目の「チムジルバン」。中くらいの温度のサウナで普通に眠ってしまう。そんなこんなで夜は更けに更けて気がつくと朝。(もうこうなったら)タクシーにてゲストハウスへ帰宅。



・感動のフィナーレを迎えた23日(月)。チムジムバンから帰宅した、このあたりの記憶はもうほとんど無し。とりあえず荷物をまとめて「スユ+ノモ」にご挨拶へ行く。どうもありがとう&記念撮影。それにしたって、インタビュー的に語っていただいたこと(歴史/理念/現在)から生活の小さな事柄まで、この備忘録などには全然書いていないけれども様々な場面で大変親切にしていただいた。カムサムニダ(ありがとう)。しかし、カメラを抱えた/ビデオを構えた、謎のしかも全然勉強熱心ではない小さな日本人だと思われてしまったかなぁ、とも思うから、次に来るときには絶対にもう少し現地の言葉を覚えて、ハングルも多少読め、それでもダメな時のためのツールとして英語を使えるようにしておきたいと心に留める。少しだけショック療法(「喉元過ぎれば」なんて言わないで…)です。


・そんなセンチメンタルな気持ちで車窓を見つめていると驚くほどあっという間にバスは空港に到着。到着したならば急に日本人としての習性が立ち上がり(嘘)キムチなど各種お土産を購入。また、そういえばソウル市内で例えばタワーブックス的な大型書店に行きたかったんだけれども全然見つけられなかったことを思い出して、目に留まった書店にて雑誌数冊を購入。山部へのお土産としては、韓国版『山と渓谷』的な『MOUNTAIN』と『BE-PAL』的な『OUTDOOR』(どっちもストレートな名前だなぁ)を購入し、自分用にはその隣にあった『HUGE』と『TUNE』を足して2で割ったみたいな、やたらとメトロセクシャル(?)な男性ファッション雑誌『maps』も購入。


・あっという間に名古屋着。しかしここからが大変でダッシュで乗り継ぎダッシュで「ひかり」に飛び乗って光のように新宿御苑方面へ移動。そうなのです、どういうわけかこんな日に限って業務の年度末最後の会合だったのでした。結婚式場みたいな会場に花嫁をさらいに来た的なタイミングで、しかも山から降りてきた的なファッションで登場して自分の部署の人だけが失笑。記憶はソウル、現在地点はもちろん東京。でも思考はその間を彷徨っているような夜がまた始まる。




・ソウルの朝。



・サムチョンドンにて。



・サムチョンドンにて。



・ムッレ(ムルレ)にて。



・ムッレ(ムルレ)にて。



・沢山の、ひとつの、旗。



・ウィーアーエブリウェアー。



・ムッレ(ムルレ)にて。



モンベルをチラ見。神田のような風景です。



・夕方のソウル駅。寒い。


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・ソウルの朝のアスファルト



・「あ、ブックオフだ!」