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  映像研究

優雅な休日、その一例

 
・日曜の夜、家に帰った途端に記憶を失って、気がつくとすっかり月曜の朝。つけっぱなしの暖房で喉はからからだけれども、とりあえず外は寒い。あまりにも寒いので、今年初・股引(ももひき)。


・ここのところ休みの日は撮影をしている。仕上がったプリントを見ながら考えることもあるけれども(前日の日記を参照されたし)、もちろん撮りながら考えることもあるのだ。養老天命反転地に行ったときに、西日が山並みで隠されて日が当たらなくなって影が消えていく様をぼやっと眺めていたのだけど(今月上旬の日記を参照されたい)、山並みでないにしても、当たり前だけどこの季節にもなると、日は短くて太陽の位置は低い。ほとんど3時くらいになるとフィルムに残るような光はなくなってしまうような気がするし、それはそれでまた趣があるとはいえ、ものの存在感もぼんやりしているように思う。そして大げさだけども、そんなことから地球のどこかに極夜?とか白夜とかがあることをふと思ったりもする。


・まわりみちして荻窪駅に出るつもりが、気づくとそこは西荻窪駅だった。近いのですね。駅と駅とが。折角なので古本屋をのぞいたり、古道具屋を冷やかしたりする。音羽館で購入したのは

懐かしいマンガを見つけて、思わず読んでみたくなったのです。


・撮り終わったフィルムをラボに出しにいったついでに新宿。新しいのが出て店頭から消えてた

・を紀伊国屋で探してもらって購入。荻窪に戻って北口の喫茶店ひなぎく」でハートランドを飲みつつ、これを読む。とりわけ大阪の研究機関(?)「remo」の活動が紹介されていた櫻田和也「反時代的・映像の居場所」というテキストが興味深く、その他にも佐藤真の遺稿、鈴木志郎康吉増剛造、の文章などなどが、今自分にとって読むべきものだとおもった。


・この時点でまだ6時過ぎ。最近ほぼ日課になりつつある、ささま書店をチェックで


・夜は荻窪フレンドのIGRくんと、今年初・鍋。ほくほくしつつ各種Yahoo!オークションのはなし。たまにテレビを観ると(それは『SMAP×SMAP』とか『あいのり』とかだった)なんというか刺激が強すぎて、演出にいちいちひっかかりすぎてしまうし、そもそもにして目が痛い。そしてなによりテレビの人に平気で相づちを打ったりしてしまうこの症例は、初めて映画を観た人たちが機関車が向かってくるのを観て逃げ出した、というかの有名な逸話などとはまったく似ていないけれども、気分的には関係なくもないとか、そんなようなことを思える程度に優雅な本日。