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  映像研究

現像されてきた写真をながめながら、2007年を振り返る(とくに関連性

 
・タイトルのとおりです。それにしても仕上がってきたプリントをじいっと見ていると、ここ数年のDPEのデジタルプリント/アナログ焼き(っていうのかな)の状況について少し思うところもありました。このような物からは、撮影した瞬間の記憶すら思い起こすことが難しく(それは記録として機能してないということです)、ましてそこからなにか想像するべき別のことを考えられるような気は全然しない。



閑話休題。流行のこと。自分は全くトレンディーな人ではなくて、それに加えてさらにテレビを観なくなって数年が経ち、時事的なことに関してはもはや完全に、疎い、と言うべきなのだろうけれど、しかしその一方でなぜか、なんとなく自分こそが(他の誰よりも、というのはおおげさだけれど、他の誰かと比べても遜色なくという程度に)ちゃんと流行を感じとっているのではないか、と思うことがある。というようなことは「節操がない人≒要するに普通の人」のみんなが考えていることかもしれないですね。



・そしていずれにしてもこれらは2007年のこと。もしも今年あるいは去年くらいから「政治ブーム」のようなものがあったのならば、そういう(ほどほどに流行を感じとっているような)個人的な感覚からすると、そのブームは早くも(?)もう既に終わりかけているような気がする。それは今年の後半、安倍晋三という人が辞職する前後に色々なメディアで定型文のようなバッシングをされたときに「ああ、こうやって誰しもが持ち上げられたり、持ち上げられてたことを思い出せないくらいに落とされたりするものなんだなぁ」という印象を持ったことで始まって、その直後に、福田康夫という人が総理大臣になった時に「ああ、しばらく忘れていたけど『総理大臣』ってこういうかんじの人だったよなぁ/この前2人くらいは、特に前の前の人は異常にポップだったなぁ」というような感覚を持ったことで何となくかたちになり始めて、ここ最近ニュースになっていた(見たわけではないです)小沢一郎という人が連立をどうにかしようとして辞めるとか辞めないとかの話題、を見て「ああ、こういう風にいろいろな状況によって物事の緊張は解かれて、結局落ちつくべきところに落ちつくのかなぁ」という感覚を覚えたときに、ある自分の気分が出来上がった、ような気がする。


・しかしちなみに自分としては特別に民主党に何か期待をしていたとかそういうことではないし(一票投じてもいませんし)、であるからして、例えば最後の「小沢一郎という人が連立をどうこう〜」ということに対して期待の裏返しとして「日和ってけしからん」とかそういうことを思うこともないです。


・そうではなく自分がそこで考えたことは、現在の、自分にとっての/空気として感じる「政治ブーム(のようなもの)」を、それはなんとなく各種のアンダーグラウンドなものも含めた運動や、それとも関係づけられるような環境の問題などを媒体としてあって、更にそれが少なからず「割合に若い人≒今まではあまり政治に関心を持たなかった人≒要するに普通の人」を中心とした動きであると認識していて(あるいはそれを例えばSTUDIO VOICEQJのようなメディアがユースカルチャーのある一断面としての紹介したのであって)、つまりそれは「一般的な意味での『政局』」とは違うレイヤーである、と考えていたのだけれども、それは(考えてみれば当たり前のことなのだけれど)大きなこととしてはちゃんとつながっているのだということ。そして、これは全くの個人的な感覚なのだけれども、そのようなこの半年の(あるいは小泉純一郎という人が総理大臣であった時代から流れならば数年の)「一般的な意味での『政局』」の経緯/ごたごたしたけど結局はよく知っているような状況に戻るような感覚、によって、実感をともなっていた(という感触の)はずの「身近なことから考える環境問題」や「若年の雇用/ロストジェネレーション問題」や「ローカルなレベルでのアンチ・グローバリズム的な問題」までもが、この2007年をもって、なにか別のものにかわってしまった、あるいはなんとなくのガス抜きをされてしまったように思えてしまうということ。


・なのだけれども、しかしながら、仮に、それが本当にそういう部分があったとしても、だからどうだという話もある(指示語ばかりでわけがわからなくなった)。なににしても「ブーム」はそれが「ブーム」である限りは、本質の何だかを必ず反映はしていても、それが本質自体を変化させるということはないのだとも思う。それにそもそも政治というものが、「普通の人」が接点を持てるものだとして、まずはそのように理解した上で、その接点は「普通の生活」の中にあるべきなのではないかなということ、そしてだから「普通の生活」の中から出てくる言葉に何かヒントがあるのだ、という考え方こそが今考えるべきことであったのだった、ということを再確認したというはなし。そしてそれは「ブーム(か否か)」は完全にさておいたところで、とりあえず2007年(の後半)に考えた、とても2007年ぽい事柄であった、というはなし。



・そしてそんなことを、おしゃれ雑誌「Tokion」に載っていた「素人の乱」の記事を見つつ、その「素人の乱」のネットラジオなんかも聴きつつ、あるいは「無人島プロダクション」から届いたchim↑pomの『サンキューセレブプロジェクト』のカタログに感銘を受けつつ(しかもサイン入りだ!)、しかし基本的にはこの間の旅行中に撮影した写真を見ていたのだったのだけれど、というようなかんじで取り留めなく色々と考えていたプロセスなのでした(途中から何だかわからなくなった)。