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  映像研究

遠くと近く

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・202105191814。今日の作業を閉じようかという時間に。今日も朝3kmを30分。雨と雨の間にすっと外の空気を吸う。今日は家のすぐ近くの農園になっている丘を登り住宅街を抜けて中央公園へ。丘の上から見える景色を撮ってみる。風景の良さの中には光と影が作り出すものがあるけれども一方でただ見えている光景を写して再び見ることも面白い。見ているものはただ「遠い」あるいは「近い」だけですべてがある。あまりにも遠い地点は目でもアイフォーンでも見えない。見えない地点も存在することを確信している。その確信がその眺めを作り出しているのかもしれなかった。

 

・次々に本が届く。購入=注文しているのだからそれは届かなければその方が問題なのだけれども、あまりにも続けて届くと配送の業者さんにも申し訳なく、また自分の懐と相談して購入しているにせよ、これ、本当に大丈夫なのか、という気持ちが攻めてくる。今日はひょんなことから自分の研究とは直接まったく関係のない黒沢清の書籍をメルカリでセットで。日本の現代の映画表現について最低限の理解が欲しかった。数日前に届いた北村匡平『24フレームの映画学』も少しずつ読んでいる。映画の特に「演出」について知ることは、映画に限らず自分の見ることの意識を広げるひとつの重要な導きとなる。そのことを時々思い出して、口実を見つけて映画について知る。

 

白水社ジンメル著作集12 橋と扉』はそれとはまた全然別の理由で、直接自分の研究と接点がある本として購入された。「風景」について、かつて人間は何を考えて、どのような言葉で記述(記録)されてきたのか、ということを写真の問題として考えている。あるいはもっと端的に「風景」をどのように定義できるか、と問うてみて、まずは何のヒントも模範解答もなく、言葉を書くことも必要だった。書いてみた上で、先人たちの言葉を求めても良い。単純化すれば、ジンメルが「自然」と「風景」を区別して、また対比するとき、それは西洋における「風景」の概念化とも言えるだろうか。では日本ではどのように考えられていたのか。

 

・作業をしながらBGMをYoutubeで。UNIQLO『LifeWear Music』は優秀。焚火をしたい。