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  映像研究

夜まで業務

・202009192123。山部オンラインミーティングのために職場を走り出て飛び乗った京王線でブログを書いてもいい。人と時間を合わせて会話を切り出すことが業務であるような一日だった。動いているあるいは動かしている作業だけをぎゅっと詰めれば短時間で終わったのかもしれないが組織的なものにおいてはそれはなかなか難しいということを再確認した。かといって空き時間に全然違う自分の作業を挟むこともそれはそれで難しい。できることといえば「急ぎではないがやっておくと後々楽になる作業」を細切れでも少しずつ並走させることだろうか。この一週間の裏テーマは2021年度の自分の研究の時間を確保するための準備で、それもまた自分は正攻法というよりは作戦を立て、自分以外の人が少しずつ自分の求める環境を必然的な状況だと思うような過程を構築していくことをまず第一に考える。そのための言葉を考える。それは自分が組織に所属することと自分にとって重要な何事かを両立させるために身についてしまった習性のようなものだろうか。他の方法を知らない。職場に行く前にリアル書店で、西田幾多郎の『善の研究』という本を買ってみる。19世紀後半から20世紀の前半にかけて、いま日本と呼ばれる場所に生活していた人たちが何かを考えてどのような言葉とともに生きていたのか想像してみることが自分の課題だ。その時代の木製カメラをYahooオークションで頑張れば買えてしまう値段で発見してしまい揺れている。カメラも思考に関わる道具であるという口実とともに木で出来た蛇腹のカメラに手を出しても良いのだろうか。中断。