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  映像研究

「静けさと人の声」「ブラック・マウンテン・カレッジ」「かるた」

 
・ある時「静けさと人の声」という言葉が思い浮かんだ。何かの名前なのかもしれない。何かの名前のように思えた。しかし何の名前なのかまったくわからない。わからないけれどもその「静けさと人の声」という言葉を覚えておこうと思う。サイレンス・アンド・ヴォイス。サイレンスは静寂。ひとりひとりがひとつの静寂を持っているようなイメージ。「みる」ことと同じくらいに「きく」こと、「聞く」あるいは「聴く」こと、に興味があるのかもしれない。音をきくこと。音楽をきくこと。楽器の演奏をきくこと。歌をきくこと。声をきくこと。言葉をきくこと。話すことの前にきくことを学ぶこと。


・だからいつか心にブックマークしておいた「black mountain college/ブラック・マウンテン・カレッジ」について、自由研究してみたいと、ふと思い立った。毎年の業務の期間が一段落したならば、自由に研究してみよう。そしてそれはある「場」を作る試みについて考えることでもある。


・例えば何かを音読するということ。何か「について」話すということ。「これは○○です」という言葉の、その話される内容と話し方によって立ち上がるものがあるのだとしたら。「私は」という言葉はない。「私は…思う」という言葉はない。「私は…考える」という言葉はない。「私は…したい」という言葉はしばし傍らに置いておく。話すことの前に声を出すことを学ぶこと。「国語」ではなく「言語」の授業というものがあるのかもしれない。あるいは「文法」でも「ニュアンス」でもなく「言葉」の授業というものがあるのかもしれない。そこでは言葉を読み、言葉をきき、言葉を話し、そして時に言葉を書くかもしれない。だから「みる」ことはしばし傍らに置いておく。


・ふと百人一首が気になった。百人の一首ずつが集まって「百人一首」になったならば、謎の呪文のような言葉が読み上げられたかと思うと「うーん、はい!ありました!」などと手を叩いたりする。あの遊びは何なのだろう。お手つきは一回休み。確か中学一年生の頃くらいに学年で「百人一首大会」というものがあり、男女各3人のチームになり、寒い体育館の床に座ってよそのクラスのチームと合同コンパのように向き合って百人一首をするという謎の授業(?)があったけれども、あれは一体どのような種類の清らかな課外授業だったのだろう。(最後に個人で最も多く札を取った人が発表されて表彰される。2回やるのでもしも完全にひとりがすべて取ったならば200枚。結構がんばって確か50枚くらい取ったので「やばい表彰されちゃうかも」と密かに思っていたら「1位の人、150枚!」とか言われて「その人どこか変なんじゃないか」と思ったという記憶がある。そしてそれは今で言う「山部の部長」。)


・「かるた」くらいから始めてみようかと思う。「かるた」で遊んだ最後の記憶がない。「かるた」という言葉を発音した記憶も相当にない。「かるた」の語感もちょっと面白いと思う。お手つきは一回休み。「ブラック・マウンテン・カレッジ」は「かるた」で遊んでいたかどうか。