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  映像研究

書き初め・2021

・202101021706。にーぜろにーぜろ、と打ってぜろを消す。いちを打つ。何度か繰り返すだろう。手がまだ、2021、に慣れていない。しかしきっとすぐに慣れる。未来に慣れながら生きている。新しい年に新しい言葉をメモすることも良い。毎年比較的静かな年末年始だけれども今年はいつよりも静かに過ごしているように思う。リビングの窓から風景を見る日中。快晴、丘陵、緑、光。静かすぎるから少し騒がしいラジオをつける。景色が見えている16時くらいまでの時間を貴重だと思う。美しい時間はすぐに去ってしまう。

 

・昨日元旦は車で実家へ。いつもならば食事するが2021年は家族の墓と近くの小さな神社へ散歩。午後の光が枯れた草に反射する公園。静かな散歩で静かな挨拶。東京を縦断するドライブだった。住んでいる神奈川との境から実家のある埼玉との境へ。新小金井街道を北上して府中街道を南下する。車から見る正月の多摩地区も珍しいから面白い。そして自分が約25年を過ごした学区の一帯や大学の頃に友人が住んでいた地域を車で走ると色々な記憶が浮かぶ。新しさよりも過去に引き寄せられる年始。

 

・年末にSNSのタイムラインで知ってその断片的なイメージから惹かれるところがあり、こんな年の瀬に駆け込みで申し訳ないと思いながら注文してしまった、横澤進一『クサビノ(楔野)』という写真集を眺めていると、その写真が埼玉で撮影されていることを知り、納得するような気持ち。この風景を知っている、と思う。同時に、こんな風には自分には見ることができない、とも思う。懐かしく、恐ろしい。こうした写真が自分の風景を見る意識に入り込んでいたのか。

 

・今日2日は家で食べたり読んだりしている。引き続きユリイカ戸田ツトム特集が面白く、家にある戸田ツトムの仕事を「これも?」と思いながら手に取ってみる。特にカルヴィン・トムキンズ『優雅な生活が最高の復讐である』について、紙の選択によって本自体の重量を軽くしているという話が興味深かった。十数年前に古本屋で背表紙のタイトルに惹かれて手にして以来「優雅な生活が最高の復讐である」と思いながら、見える場所にずっと置いてある本。本棚にあった古い武蔵野美術の文字表象特集「生存活動としてのデザイン」という文章も面白い。デザインの仕事と植物について考えたことはなかった。

 

・デザインについての言葉を読み、そして再び写真を見たり写真について考えると、その思考の領域の重ならなさに気がつき驚く。そういえばとデザインの教育を受けてきた知人・友人のことを思い、その教育と無関係ではないはずの知人・友人たちの言葉や仕事を思い返し、映像にまつわる教育を受けてきた自分の思考との違いを考える。それは自分の思考や言葉に「映像」や「写真」がいかに食い込んでいるかということを思い出させる。この「育ち」は意外と強固なものであるということを、この数年実感することが多い。きっと今年も考えるだろう。

 

・年始の抱負は言葉にしない方が良いと思っていたけれども、忘れてしまうからメモする。健康。筋力。持久力。柔軟性。料理。特に作り置き。圧力鍋と蒸し器の活用。出費を少し控える。ピンポイントで変な衣料品を導入する。その一方で物を減らす。空間に余白を作る。2020年以上にこの机で作業をする。何もない机は気持ちが良いから。時間をかけて写真を見る。乱読よりも精読。そして毎日書く。

 

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