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  映像研究

ミーティング

 
・3月29日の火曜日の夜に国立でMTG地震が起きて、原子力発電所の事故が進行していく中で、この期間ずっとメーリングリスト的に山部の友だちと連絡を取っていた。11日から早くも20日近くの時間が経って、それぞれ仕事を再開したり、テレビを見たり疲れたり、あるいは東京から移動したり、そしてその勢いで旅行に行ったり、そうして移動した先から戻ってきたりして、久しぶりに集まることができた。話をしたかったのだ。今多くの人が「何か人と話をしたい」と思っているとして、その「話」は色々とあるのだろうけれども、その「話」の内容は、その人が「今の状況」をどのようなものとして認識しているのか、ということによって異なってくるのだということがわかった。わかった、と言って良いのかわからないけれども、そのような状況であるのだと、自分は思う。


・「今の状況」が「地震の揺れも収まり、どうやら原子力発電所も何とかなりそうだ」と考えている人にとっては、「今の状況」は「出来事が終わった後」なのだと思う。そのような状況において必要とされる話は、出来事の検証や反省の言葉、あるいは癒しの(という言葉をきっと正しいであろう意味で使ってみよう/記憶を話して聞き共有するという)言葉なのだと思う。しかしそれとは違い「今の状況」を「地震の揺れは今はそれほどないがまた起こってもおかしくない、そして原子力発電所は非常に悪い状況であるし、今後もその状況が続きそうだ」と認識している人ならば、その人にとって「今の状況」は「今まさに出来事が起こっている最中」なのだろう。そこで必要とされる話は「現状を理解するための知識」であり「現状を生きるための知恵」になる。そしてその振れ幅の中に、例えばざっくりと「関東地方の人」がいるとして、振れ幅のどの地点に、どのような人が、どれくらいいるのか。話を、会話をすることに前提が必要になる。考えてみれば不思議な状況の中でのMTG


・そして多分その場所にいた私たちは(程度の差こそあれ)状況を決して「出来事が終わった後」だとは捉えていなかったし、むしろ自分などは「出来事が終わった後」だとして日常生活を普通に送ろうとすること、そのこと自体にある種の恐ろしさ(考えたくはないのだけれども/マスというものの/情報というものの暴力)を感じていたのだから、本当は、一言だけで良かったのかもしれない。誰か信頼できる人に直接会ってこう訊ねたかったのだ。「まだ、終わってないよね?」と。そうして(繰り返し言えば程度の差こそあれ)そのような認識を共有した上での会話の話題はだから、必然的に「今起こっていること、起こり続けていることへの認識」になる。


・しかしそれは「わからない」。あの建物の中で、建物が爆発した中にある、あの壊れないはずの容器の中で、何が起こっているのかは、結局のところわからないのだ。あるいは今こうして生活している中で普通に吸っている空気がどのような成分のものなのか、少なくとも今この瞬間にはわからない。「わからない」ということから考え始めた上で、「チェルノブイリ事故」について調べて、「内部被爆」と「外部被爆」の違いについて調べよう。大人と子どもでどのように影響に違いがあるかも、調べようと思う。それらの情報は、もしもこのような事故が起こらなかったならば、もしかすると一生知らなかった事柄かもしれない。しかし同時にその情報は、今、この場所で生活するために「最低限必要な情報」となりつつある。そしてその情報との付き合いは短期間でないかもしれない。朝天気予報を見てから外出するようになったのは何十年前の出来事なのだろう。花粉が飛ぶ量の予報は何年前からだっけ?それらは、今、この場所のこと。


・そうして、このような状況だからこそ話すことができるのは、長い時間をかけて今後続けていくそれぞれの「生活」のことであり、その「生活」と関わらざる得ない「社会」や「国」のことでもある。国中に張り巡らされた送電線が、なぜ、どのように張り巡らされているかについて、今、一ヶ月前の50000倍(適当です)くらいの思考がこの島国の(特に一部に)生まれている。インフラストラクチャーのほころびに注意してみると、そこから経済の仕組みが概観できるようになるかもしれなくて、そしてそこからは同時に政治というものが、どのように(善かれ悪しかれ)機能しているのかについてだって、少しぐらいならば見えてくるような気がする。例えば普段から「民営化」という言葉には非常に敏感になっている自分は、しかし逆に自分が生きている間に「国有化」というフレーズを(実現されるのかわからないですが)聞く日が来るなんて、まったく思っていなかったのだ。そうしてそのような話を、いつもの友だちとする。することができる。別に普段からしたって良いのですけれども(しかも結構しているのだけれども)気恥ずかしいのか、なんなのか。誰に投票するかとか。現職の人は恐ろしいとか。和民は嫌だとか。恥ずかしいか?でも今は普通に話す。


・議事録という名の映像やテキストのリストを後からみんなに送ろうと思う(書記)。「またすぐに会えるのかな?」