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  映像研究

備忘録としての備忘録とは何というか

 
・緩やかに過ぎゆく週の半ば。どんよりしたり小雨が降ったり色々だ。そんなときに家にこもってコーヒーなど飲みつつ本を読んだりできるのはとても幸福なことだと思うけれども、なにか物足りない気持ちになることも時々ある。そしてそういえばもうすぐ都議選。というか投票日であるこの週末はマウンテンの方角に出かける予定なものだから、もうすでに自分にとっては「毎日が投票日」だったのでした。


・ルミネから青山ブックセンターが撤退したときほど寂しい気持ちにはならなかったけれども「STUDIO VOICEの休刊」のことも、その後ずっと何となく気になってしまっている。会う人会う人なんかしらの流れでやっぱりその話題出るしな。しかし個人的な印象だと、よく言われるところの「雑誌不況」的なことが要因であることは確かだとしても、つまり「売れない」ということが一因としてあるとしても、それ以上に何というか「書くことがない」ということが、そういうモードみたいなものが/それは繰り返されるものではあるのだけれども/あるような気がして、だから「売れない」ムードと「書くことがない(書けない)」モードが、偶然この2009年にぶつかってしまったところに、あるメディアの終りがあった、というようなことを考えたりもする。


・そしてそれはたとえば「メディア・レイピスト」や「饒舌なサックス・プレーヤー」や「こまめに備忘録を更新する劇作家」みたいな人の使う言葉、あるいは「言葉の使い方」にこの数年、つまり00年代後半の雰囲気のようなものが(確かに)あって、とうとうそれが別の流れに移り変わりつつあるのだなぁ、というようなことも示しているのかもしれない。



・そのようなことを確か考えていた週の半ばだったけれども、そろそろやらなければいけないことが重なって、9日の木曜日には久しぶりの業務。そして出勤途中には都議選の不在者投票。「八王子市」に引っ越して1年弱ということもあるけれども、今回もまた全然確信が持てない投票をしてしまいました。郵便受けに入っていた候補者一覧を読みつつ、まずは顔つきを眺め、どう考えても自分とは違う考え方だなぁという人を消去法で消去して、最終的には「高尾山の自然を守る=圏央道に賛成していない」ということを示していた人のその言葉から、そこには書かれてない別の(良い)可能性を想像して、投票してみた。どうなのでしょうか。わかりません。


・その後業務をやっつけて、転がり込んできたばかりの賞与を手に、まずは本屋を散策し、しかし特に何も購入せず、そしてマウンテン関係のショップにて、必要なものを購入する。そのような週の半ば。忘れないための備忘録なはずなのだけど、書くことが追いつかなくて困ったりすることもある。