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  映像研究

治りかけ

 
・治りかけが一番危ないと思うほどにすっかり大人になった。しかしいつでも人は治りかけであることもまた事実。風邪の不思議さについて学ぶことはできるのはいつになるだろうか。春には漢方薬デビューしたことで、これまでの「自分のからだ」と「からだの外部にある物質」の関係が少し変わった。そういう変化に対していつでも開いているということ。


・先月末に提出した文章を友人に読んでもらったところ「反グローバリゼーション論として読んだ」とのこと。「確かに、」と言わざるを得ない。そして自分としては「エコロジカルという問題はどう展開できるのか」ということも気になっている。冷静に考えてみてそのことが自分の文章の賞味期限を短くしているのだとしても、自分が考える「正しさ」や「美しさ」の方向を指し示すこと以外に文章を書く動機がない。しかし本当にないのだろうか。


・201710181237。約一ヶ月ぶりに市立中央図書館に来た。帰ってきた感。昼間の図書館は空いていて気持ちがよく、雑誌コーナーを歩いて美術手帖の新しい号を手に取ってみたりする。そうしてこのような備忘録的な文章を書いてみたならば、それが本を読むことや言葉を書くことの準備運動になる(ことを期待しながら)。


期日前投票に行ってきて、自分としてはこれがベストな判断。頭に浮かぶ友人たちの選挙区を調べたりしてみる。選挙についてあれこれ話すことを数年前くらいにようにカジュアルに楽しむことはできないかもしれないけど、しかし近いうちに話すこともあるだろう。中断。