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  映像研究

メモ(連休の)

 

太田市美術館の『HOME/TOWN』は連休中に行きたい展示だったが、状況を鑑みて(最近よく使う)、延期することになりそう。フィジカルに(?)写真が置かれる空間に身を置きたい。そう考えながら、ひとまず、写真について書かれた文章を読むことが自分が連休中にすべきことだった。思い出す月曜日。連休期間のはじまり。

連休前の業務とオンラインの集い

・後から書いておく記録。沢山寝て朝から業務。今日は一日ワークショップのような授業。業務の授業の中である時期「ワークショップ」という言葉を闇雲に使っていた。その後「実習」「演習」という言葉の意味と「ワークショップ」との違いを考え直し、今度は「ワークショップ」という言葉を避けていた時期があったけれども、最近になって(一周して?)また「ワークショップ」としか言いようのない授業を考案することがあり、試し試し「ワークショップ」という言葉を使っている。こういう言葉の選択もまた自分は業務にとって重要な事だと考えているが、必要以上に拘ることはチームを疲弊させることにも繋がる。月並みだが「バランス」。

 

・そうして業務を終えて、初めての「ワークショップ」だったこともあり激しく消耗。帰宅して家族が仕込んでくれていたカレーライスを食べた瞬間に酷い眠気に襲われて、野村訓市の声を聴きながら意識を失う。20:30から21:30まで正体を失う。

 

・再び起きて今夜は山部のオンライン集いだった。思えば「緊急事態宣言」とともにオンラインで月に一度か二度話すようになり、もう一年になる。東京、神戸、熊本が接続されて近況を交換する。それぞれの生活があり、それぞれの土地の「事態」があり、そしてそれぞれの立つ場所から見つめる「東京」がある。果たしてオリンピックは開催されるのだろうか。それとも中止されるのだろうか。予想を話してみる時間。その後映画の話、副業の話、自分は養蜂についてプレゼンテーションしていた。25:00すぎに会話が途切れたタイミングで終了。明日から気持ちとしては長期連休期間。就寝。

東京を縦断する記録

・あとから書いておく記録。土曜日を待ちわびていたのは、これで三週連続で妻の実家で筍を掘り、さらにその後出荷の手伝いができることによる。筍を掘ることの要点が少しずつ理解されてゆくこととともに、ビニール袋に入れて値段をつけた筍を直売所の棚に並べた瞬間に飛ぶように売れてゆくことが面白い。生業として専門にしている人にすれば呑気なことだと知りつつも、そのような面白さを身体の全体で感じている。季節限定の面白さなところも良い。

 

・そうして筍を数本携えて自分の実家へ車で向かう。ちょうど東京都の南端から北端へ北上するドライブ。実家には単身赴任で春から東京に出てきている従兄弟が来てくれていて、いつも色々気にしてくれているので、頼もしくも恐縮する。一緒に墓参りのち大型ホームセンターへ。4人と1匹。従兄弟は父親(自分からすると伯父さん)から譲り受けた車を25年乗っているという話を聞いて、ちょっとそれが良かった。

 

・その後再び南下。途中で大型の鮮魚店へ立ち寄り鰆のたたきとほたるいかを少し。さらに新小金井街道古書店に立ち寄る。安定の「はてな倶楽部」に加えて、初めて知って入ることができた「古書みすみ」、素晴らしかった。写真関係の数冊を購入して帰宅。鰆のたたきはパクチーその他と和えてサラダにする。宣言前日の完全な休日の記録。写真は大型ホームセンターの鹿がプリントされたクッション。

 

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昼に自宅でヴェリタスブロイ

・202104232138。帰宅する京王線の車内で移動する定点観測。目に見える光景は何も変わりがないように思えるが、一方で数日内に緊急事態宣言の発令が控えている。1月とも、昨年の4月とも、また違った状況が訪れるのだろうか。何事かを忘れたふりで生活をしているうちに本当に忘れてしまったような感じもある。忘れたのはかつての「ノーマルな生活」のあらゆるディテールかもしれない。

 

・なおも生活の記録を書く。昨日の夕方に投稿していた論文の審査結果が送られてきて、何とか今後の修正次第で採択があり得る評価。少し安心しつつ、午前中に再提出までの手書きのカレンダーを作り、机の見えるところに置いておく。明らかな自分の誤りに関して深く反省。しつつ少し作業。

 

・昼は家族に勧められたインスタントのフォーに筍を焼いたものとベランダ菜園のパクチーを乗せる。何となくセット的な様相を展開したく、キムチを乗せた冷奴を並べたならば、思わず昼からヴェリタスブロイを開けてしまった。その準備をしつつ夕食のビーフシチューを煮込む。煮込むこととオーブンに踏み込むことが今年度前半の課題だったことを思い出す。

 

・15:00過ぎに業務のために家を出る。駐輪場の前の緑を写す。

 

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麻酔で思い出す

・202104221209。夕方の業務まで家で作業できる、論文の構想を進め、あわよくば部分的に書き始め、必要な翻訳などして、そして昨日駅前のスーパーで購入した肉を煮込もうなどと考えていたが、朝から歯医者を予約していたことに気がつく。そういう小さなロスをしてしまいがちだと思い出す。歯医者はスムーズに終わる。せっかくだから耳鼻科に行って今年度後半から来年度に向けて花粉症の薬を貰う。銀行の振り込み。実家への連絡。業務の買い出し。など済ませて今。麻酔が効いていて昼食という感じでもないからゼリー飲料を摂取して、コーヒーくらいならばと思って調布の猿田彦にinしてみた。

 

・そういえば前にも同じような日を過ごしていたなと思い出し、麻酔、で検索してみたところ昨年の11月だった。麻酔が切れるまでコーヒーショップで作業する平日。しかも家から駅までの同じ場所で写真を撮っていた。偶然に。

 

 

・調布の駅前広場に「ワクチン摂取」のためのプレハブが建てられていて、その周囲を歩く。自分がワクチンを摂取するのはいつのことだろうかと未来に向かって疑問を投げてみる。ワクチンを摂取すれば直ちに祭り騒ぎができるわけでもないのだろう。かなり不確かな状況の中で辛うじて日常らしき生活を過ごしているのだということを時々このようにして思い出す。

 

・今朝地元の友人から約一年ぶりにメールが届く。マスクをした長男と次男がカメラに目線を向けている写真が添付されていて、その表情の感じが何よりも良かった。そして短いメールには「僕らが10代の頃とは全く違う10代を送っている、それが羨ましくもあり、可哀想でもある」という言葉が書かれていて、その短いけれども複雑な言葉に詰められた時間や感情のことを考えて、朝のひとりのリビングで少し感傷的になってしまった。自分のルーツを分け持つ人が、遠くないが近くもない場所で日々の生活を送っている。その繰り返しの中からふと自分の手の中に飛び込んできた写真と言葉が今住み着いてしまった。

 

・考えを書き留めておきたいことはさまざま湧き出すが、熟慮という別名を持つぼんやりした思考で過ごしていて、いくつかは忘れて、いくつかは別の形で残る。昨晩は一昨日配信されたという小沢健二「マイクロ魔法的」という映像を視聴する。『エル・フエゴ(ザ・炎)』という曲、良かった。そして「配信」ということが新しく可能にした関係性のようなことがある。そういう話を聴きながら数日前に電車の中でマスクをした人たちに囲まれつつ「配信と顔」について考えていたことを思い出す。あたらしい世界では、既に「有名な人」や「自分の媒体を持っている人」は自分の顔を他者に見せることができる。あるいは「自分の顔」を媒体とすることができる(表情=メディウム)。しかしそうでない多くの「普通の」人は、自分の顔という媒体を奪われている、ように思った。そのことを、小沢健二の配信に映り込んだスタッフのマスクによって思い出す。

 

・別のこと。主に音楽の発表の方法における「フィジカルリリース」という言葉を数日前に初めて知って、なるほどと思う。自分はつい、たとえば写真について、それが作られる時点での行為や現象を問題としているから、記録媒体はフィルムなのかそれともデジタルデータなのか、というような事を考えるが、それともまた少し違った観点で「フィジカルに」「リリースする」という状況が言葉として示されると、存在する物や空間のことを考えることができる。それは少し前に横澤進一さんという写真家の展示を見た時に思ったことでもある。「写真を用いたインスタレーション」というような事の以前に、そもそも「プリントされた写真が存在する」という次元がある。その次元を考えてみることもできる(それを考えるために思い切って作品を購入してみた)。

 

・また別のこと。記録として。火曜日にはオンライン勉強会の特別編としてI君と神保町散策へ。語学のために神保町近辺に通っていたのは2020年の春までだったからちょうど一年ぶりではなかったか。と記録を辿ると2020年の秋にも一度写真集購入のために立ち寄っていたから半年ぶり。主に研究に必要な図録などを探しに行ったが、いくつかの書店に額装された写真、版画、絵画、イラストレーション、などが置かれていて、その佇まいから何か感じる。額装された作品は「フィジカル」の極みのような存在感を放つものもある。一方で古い大型の書籍も限りなくそれに近い存在感(思わず「アウラ」と言いたくなるがそれもどうなのか)を湛えている。Amazonや日本の古本屋その他のインターネット販売に慣れていると、棚を目でなぞり、両側から押さえられた一冊を引き抜き、両手の上で紙を送る、一連の行為が何か特別なことのようにも感じられる。アルコール除菌などしているせいもあるのか、白い手袋をはめているように錯覚する。

 

・などと今週の課外活動を振り返りながら作業を少し。初夏の日差し。

 

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