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  映像研究

麻酔で思い出す

・202104221209。夕方の業務まで家で作業できる、論文の構想を進め、あわよくば部分的に書き始め、必要な翻訳などして、そして昨日駅前のスーパーで購入した肉を煮込もうなどと考えていたが、朝から歯医者を予約していたことに気がつく。そういう小さなロスをしてしまいがちだと思い出す。歯医者はスムーズに終わる。せっかくだから耳鼻科に行って今年度後半から来年度に向けて花粉症の薬を貰う。銀行の振り込み。実家への連絡。業務の買い出し。など済ませて今。麻酔が効いていて昼食という感じでもないからゼリー飲料を摂取して、コーヒーくらいならばと思って調布の猿田彦にinしてみた。

 

・そういえば前にも同じような日を過ごしていたなと思い出し、麻酔、で検索してみたところ昨年の11月だった。麻酔が切れるまでコーヒーショップで作業する平日。しかも家から駅までの同じ場所で写真を撮っていた。偶然に。

 

 

・調布の駅前広場に「ワクチン摂取」のためのプレハブが建てられていて、その周囲を歩く。自分がワクチンを摂取するのはいつのことだろうかと未来に向かって疑問を投げてみる。ワクチンを摂取すれば直ちに祭り騒ぎができるわけでもないのだろう。かなり不確かな状況の中で辛うじて日常らしき生活を過ごしているのだということを時々このようにして思い出す。

 

・今朝地元の友人から約一年ぶりにメールが届く。マスクをした長男と次男がカメラに目線を向けている写真が添付されていて、その表情の感じが何よりも良かった。そして短いメールには「僕らが10代の頃とは全く違う10代を送っている、それが羨ましくもあり、可哀想でもある」という言葉が書かれていて、その短いけれども複雑な言葉に詰められた時間や感情のことを考えて、朝のひとりのリビングで少し感傷的になってしまった。自分のルーツを分け持つ人が、遠くないが近くもない場所で日々の生活を送っている。その繰り返しの中からふと自分の手の中に飛び込んできた写真と言葉が今住み着いてしまった。

 

・考えを書き留めておきたいことはさまざま湧き出すが、熟慮という別名を持つぼんやりした思考で過ごしていて、いくつかは忘れて、いくつかは別の形で残る。昨晩は一昨日配信されたという小沢健二「マイクロ魔法的」という映像を視聴する。『エル・フエゴ(ザ・炎)』という曲、良かった。そして「配信」ということが新しく可能にした関係性のようなことがある。そういう話を聴きながら数日前に電車の中でマスクをした人たちに囲まれつつ「配信と顔」について考えていたことを思い出す。あたらしい世界では、既に「有名な人」や「自分の媒体を持っている人」は自分の顔を他者に見せることができる。あるいは「自分の顔」を媒体とすることができる(表情=メディウム)。しかしそうでない多くの「普通の」人は、自分の顔という媒体を奪われている、ように思った。そのことを、小沢健二の配信に映り込んだスタッフのマスクによって思い出す。

 

・別のこと。主に音楽の発表の方法における「フィジカルリリース」という言葉を数日前に初めて知って、なるほどと思う。自分はつい、たとえば写真について、それが作られる時点での行為や現象を問題としているから、記録媒体はフィルムなのかそれともデジタルデータなのか、というような事を考えるが、それともまた少し違った観点で「フィジカルに」「リリースする」という状況が言葉として示されると、存在する物や空間のことを考えることができる。それは少し前に横澤進一さんという写真家の展示を見た時に思ったことでもある。「写真を用いたインスタレーション」というような事の以前に、そもそも「プリントされた写真が存在する」という次元がある。その次元を考えてみることもできる(それを考えるために思い切って作品を購入してみた)。

 

・また別のこと。記録として。火曜日にはオンライン勉強会の特別編としてI君と神保町散策へ。語学のために神保町近辺に通っていたのは2020年の春までだったからちょうど一年ぶりではなかったか。と記録を辿ると2020年の秋にも一度写真集購入のために立ち寄っていたから半年ぶり。主に研究に必要な図録などを探しに行ったが、いくつかの書店に額装された写真、版画、絵画、イラストレーション、などが置かれていて、その佇まいから何か感じる。額装された作品は「フィジカル」の極みのような存在感を放つものもある。一方で古い大型の書籍も限りなくそれに近い存在感(思わず「アウラ」と言いたくなるがそれもどうなのか)を湛えている。Amazonや日本の古本屋その他のインターネット販売に慣れていると、棚を目でなぞり、両側から押さえられた一冊を引き抜き、両手の上で紙を送る、一連の行為が何か特別なことのようにも感じられる。アルコール除菌などしているせいもあるのか、白い手袋をはめているように錯覚する。

 

・などと今週の課外活動を振り返りながら作業を少し。初夏の日差し。

 

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