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  映像研究

会う春

・202303191102。都心に向かう電車を待つ。最寄りの駅のホームで書いても良い。

 

iPhoneのカレンダーに細かな予定を書き入れていたが、気がつくと3月の残りの日には何らかの予定が記されていた。月末には春の集中講座的な業務があり、それを越えればまた少し休むことができる。とはいえ、微妙に時間ややり方を調整しながらパズルのように考える必要がある。これが春だったかもしれない。

 

・予定のうちのいくつかは人と会うことで、会うことが久しぶりの人もいる。堰き止められていた水が流れ出すように、色々な対面の状況が生まれている。それはちょうど約3年のあいだ会うことをひかえてきたことにもよる。加えて自分の場合は、数年取り掛かっていた作業が終わり、時間的・心理的に解放されたことにもよる。人と会うことが生活の中に戻ってきた感じがある。人と会って話をするこことは、どんなふうなことだったかと考えていた。

 

・熊本現代美術館での、坂口恭平と千葉雅也の二人が話す映像を見る。一度はラジオのように声だけを聴いて。もう一度は夕食をしながら大きな画面で見る。人と人が、適切な緊張感を持ちながら、しかしリラックスして話す様子に力を貰う。同級生という感じも良い。年齢が異なっても豊かな関係が築けることとは別に、同級生の間にしか生まれないグルーヴのようなものもある。自分からすれば中学の目立つ先輩(少し恐い)の会話を聴くような楽しみもある。

 

・「メンテナンス」について話していたことが特に印象に残った。自分もまた生活の中にさまざまなメンテナンスを仕込んでいる。

 

・「つくる」こと、たとえば自分の場合であれば、行為としては書くことや撮ることがある。まだそこに直進せずに、しばらく自分の欲を探ってみたいという状態の春。ピークを目指す登山ではなく、裾野から別の裾野へゆっくりと移動し続ける山歩きをイメージしている。山菜を食べたいからかもしれない。

 

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