&

  映像研究

ある時

・202211052146。帰宅する京王線で辛うじて書いてみる。8:30から10:30まで最寄りのエクセルシオールで作業して、その後職場へ。11:00から21:30までが焼けるように消えた。明日から月末までを乗り切る目処が立たず結構本当に恐ろしい。おそらく乗り切れるとは思いつつ、書く時間とそれを支える睡眠を優先すると労働の時間が悲劇的な慌ただしさになる。それを喜劇と見るためには別の時空間に視点を設定する必要があるのだろうか。その視点をかつての時間に探せば、たとえばそれはカレー屋のカウンター。それは高尾の友人の家のリビング。いくつかの、いくつもの、夜が想起される。大体それは夜だった。その夜の出来事を繋ぐようなものとして生をイメージすることもできる。先端としての現在。京王線が到着する。