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  映像研究

今がいつなのか

・202004101128。自宅生活の罠であるところの飲酒サイクル。昨晩も作り過ぎ飲み過ぎで寝坊して反省。今日から在宅で仕事をする家族とともにまずはラジオ体操。朝食。風呂。洗濯。業務連絡一本。そして今。昨日は仕事の連絡の合間に積読かれていた本を少しずつ読んでみる。大山顕『新写真論』、石川初『思考としてのランドスケープ 地上学への誘い』尹雄大『やわらかな言葉と体のレッスン』など。教材のヒントになれば良いという理由と自分の研究のリハビリを兼ねて。『現代思想』の「迷走する教育」特集もパラパラする。

 

・思えば去年のゴールデン・ウィーク。「こんなにも通勤がない日が続くのは今後二度とないのではないか」という話をし、確かラジオで聞いた「老後の練習」という言葉に納得して「二度とないだろうな」と思っていたが、実際は早速次の年にあった。生きていると予想もできないことが起こる。しかも「予想できなかったことを見る」のではなく「予想できなかったことの最中にいる」。今20代くらいで生きている人にとっては10代のどこかで311を経験して、それから9年後にこの事態を生きている。その人たちの価値観は、多くの(事件や出来事を画面越しに見ることが経験であった)自分のような年齢の者とは、根本的に異なるのではないか。安易な世代論には慎重になるべきだが、そのようなことを考える。あるいは今10代の人にとっては(311を「経験」していない者にとっては)この現実はまた別の状況として生きられているのだろうか。そういう人に何か言葉を投げることの心許なさを思う。

 

・友人とも連絡を取り合う。このような状況で互いを気遣いながら何をすべきか。犬を飼ったことのない自分は散歩というものがいかに重要かを理解していない。動物にとって散歩は食事と同じように生きる上で必要な事なのだと思う。人間にとっても運動が必要なのだろう。公園を走り回りたいと思う子供も、居酒屋に行きたいと思う大人も、巣鴨に行きたいと思う老人も、泳がないと死んでしまう魚のような生物だと考えた。そして考えるためにも運動が必要である。運動にとって思考は必要ではないのに。ランニングやサイクリングを提案する友人に従って今日は何かをしてみようかとも思った。

 

・家で数日作業をしているだけで今がいつなのか不確かになる。今日は金曜日だった。中断。

 

新写真論 スマホと顔 (ゲンロン叢書)

新写真論 スマホと顔 (ゲンロン叢書)

  • 作者:大山顕
  • 発売日: 2020/03/24
  • メディア: 単行本
 
やわらかな言葉と体のレッスン

やわらかな言葉と体のレッスン

  • 作者:尹 雄大
  • 発売日: 2015/07/24
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)