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  映像研究

バスについてのメモ

・202003211051。最寄駅のホームで。今読んでいるのは『美術を書く』という本で、昨年度(あるいは終わりつつある今年度)関わっていた留学生が日本語で論文を書く参考にと読んでいたのを「それいいね」というふうに知り、時間が空いたら次の年度の準備として読んでみようと思っていたものだった。ちなみに次の年度の準備として全然何も読めていないし全然何も見られていない。辛うじてAmazonなどで使えそうなもの(という言い方は極力したくない、引けそうなもの、とかが良いのか)を購入してみている。気がつけば毎年320を越えると新学期くらいまで怒涛なのだった。『美術を書く』に「バスを待つ者にとってはやってくる全ての物がバスに見える」というような言葉が引用されており、言い得て妙と思い、自戒をこめつつ、その光景を想像してみた。ただの乗用車の頭に行き先が書いてあるような気がする。その行き先を読めそうな気すらする。目にうつるすべてはメッセージという歌もある。光景にサインを読むこと。記録されたイメージを見る以前に現実の光景を見ること自体を問題化すること。それを真剣な行為として考えること。それは自分にとっても意味がある。あるいは特に意識せずともそのようにしてきた。いまその行為を、あるいはそのような態勢でいることを、意識してみる。