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  映像研究

夏の計画

・201908090931。中央図書館にて。昨日は家族と家で久しぶりに飲んだり食べたりした。夏は体調管理をつねに考える。芝居の公演のイメージ。今は公演の中休みだが来週からは怒涛の13日間(6・1・6)になる。焦らずやらなければいけない。うまくいってもうまくいかなくても翌日のパフォーマンスを最大にすることを考える。あるいは公演(業務)と並行して自分の仕事を少しずつ進めるために計画することの重要性。そのことについて考えたのは、昨日は自分が学生の側としての面談があり、あらためて、短期的、中期的、長期的な計画を考えざるを得なかったからだ。話す内容ももちろんだが、いつもは自分が教員の側である面談という形式についても少し考える。面談はやはり「会話」ではない。「意見交換」でもない。「面談される」スイッチのようなこともあるのかもしれない。夏は続く。

 

・201908091101。図書館に放送が入り「長崎の原爆投下から74年」とのアナウンス。「一分間の黙祷ためご起立ください」に周囲は少し戸惑っているように感じられた。自分もまたおずおずと立ち上がって黙祷。静かな図書館にさらに静かな時間が訪れる。騒いでいた子供も勉強していた学生も黙祷。黙祷の時間がある。自分はこの数年「念を送る」という表現を多用するが、念を送ることは黙祷に似ている。そういえばあれは確か5年前に授業で8月9日に黒澤明八月の狂詩曲』を上映したことがあった。1945年8月9日の長崎を追想する1990年前後の8月9日の芝居の映像を見る2014年の8月9日という設定が、サイト(タイム?)・スペシフィックではないかと考えたが、どうだったのだろう。上映という行為(集団で映像を見ること)が黙祷に似ることもあり得る。見ること聴くことが祈りでもあるような瞬間について思う。あるいは場所と記憶について自分はいつでも考えるが、それを誰かと共有したいともいつでも考えている。そういえばこの映画のような猛烈な夕立をしばらく経験していない。中断。

 


Rhapsody in August Official Trailer #1 - Saburo Kadowaki Movie (1991) HD