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  映像研究

3月

 

・週末は可能な限り見に行けるものを回る。ワタリウムでマイク・ケリー。国立新美術館で五美大展。エスパス・ルイヴィトンでヤン・フードン。スパイラル、ラットホールギャラリー。横浜美術館石内都。色々なものを見るも、それは自分が何かの手がかりを掴みたいと思っている時の見方だから、どうしても散漫になってしまう。散漫になってしまうがかといって見ないわけにもいかない。あるいはその合間に洋服も見る。すごく久しぶりに中目黒のジャンティークに行った。古いものを手にとって見ることも面白い。青山でkolorも見る。kolorのカーディガンを(清水の舞台から的な意味で)購入したのはもう12年前だかだけれども、そういう確かに自分の生きる時間に刻まれる系の買い物をしたい。ある物の主張が物を通じていつでも何度でも読むことができるような物が好きだ。


・映画『リバーズ・エッジ』が良かった。面白い、というよりは、良かった、と言いたくなるような感想。小沢健二ゼミから生まれた作品(そういう解釈)に対して甘くなっているのかもしれないが、それはさておいても映画として楽しみながら見て、映像としても言葉としても触発されるところがあった。冒頭4:3のスクリーンとインタビュー映像で掴まれる。あれは90年代に書かれたテキストであったのだということを意識させられる。また役者の人の佇まいがどの人も良い。生を実感できない的な言説とは別に、映像を通してこれほどまでにからだの重みのようなものを感じることはなかなかなかったかもしれない。というか予告編で見るような現在の現在的な映画のほうがよほど生を実感するどころか、あらゆる意味で、それは人間なのだろうかと思わずにはいられない。


・川といえば、日曜日に近所の川の清掃に参加する。思えば「近所の行事に参加する」のは初めてだった。普段行き帰りに通っている、見ている、川の岸まで降りてみて、ゴミを拾うという行事。「見ているものに触れてみる」。実際に作業するのは一時間ほど。川を見ることは面白いと改めて思う。水の様子や植物の様子を見ることから、街のコンディションを推し量ることは他のことでは代えられない。川を見る。暖かくなればすっぽんも現れる。


・人の話を聞きたい、と思うようなタームがある(くる)。「人と話をしたい」とも違う「人の話を聞きたい」は、パラスレーズすると「人がどんな感じで暮らしているのか、教えてもらいたい」ということかもしれない。だけれども人と実際に会うと、それはそれでその人に話を聞くという感じにはならなくて、当たり障りない会話をする、ということになる。ゆえに小説やエッセイを読むことになる。あるいはインタビューを読んだり見たり聞いたりすることも面白い。そしてそういう時には自分が言葉を作り出すことは完全に忘れている。中断。