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  映像研究

抽象と映像の夏、2012年の8月・その24

 



・秋が近づくとヘンリー・ソローの『森の生活/ウォールデン/Walden』について思い出す。いつか手にした本。色々な人に手渡した本。色々な人に手渡しつつも実際のところ自分では未だに読み通せている気がしないような本。枕元に置いておきたくなるような(そして寝付きが良いから手に取った瞬間に眠りに落ちてしまうので結局は読めないような)本がある。


・さて8月末はどこの山に登ろうか山で何を食べようかと吉祥寺の沖縄料理店に集まってみて、各種オリオン・ビールを飲みながら、美味しい「ふーちゃんぷる」を食べながら、山のことは早速決めて、どういう話の流れだか「山と本」について話していた。「山について書いている本」を山で読む必要はないかもしれない。「山について書いている本」は家でこっそりと読むのかもしれない。では山で、テントで、ヘッドライトで、こっそりと読む本はどんな本なのだろうかと話していた。


・テントの中ではむしろ都市生活の本を読むかもしれない。あるいは船に乗ってどこか遠くの場所へ行くような本を読むかもしれない。都市と山の距離とはまた別の距離、「この山から下りたらさて、今度はどこに行こう?」と考えるような種類の本も良いかもしれない。あるいは「市民的不服従」の現在形としての「新しいアナキズム」について読むのも良いかもしれない。


・山で映像は見ない。本はいつもひとりで読む。