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  映像研究

驚くほどの秋・秋は山からやってくる・またはその逆・未来も来る

 
・「秋は山からやってくる」と書こうとして「山は秋からやってくる」と書いた。書くことは自由だ。読むことも自由だ。ポエミー。


・日々の記録は例えば9月7日の水曜日。南大沢のTOHOシネマズにて『コクリコ坂から』を絶妙に遅れて鑑賞。自分のまわりの人たちが断片的な情報をくれていたのを可能な限り忘れようと努めた上での鑑賞。誰もが誰か「ジブリ映画」に関してだけは批評家になることができるのは、きっと多くの人が「ジブリ映画」を複数観ている可能性が高いからで、例えばあるシーンを、別の映画のあるシーンと並べてみるだけでも、それは少しだけ批評風の何かになる(かもしれない)。「あの自転車のシーンだったら、あっちの自転車のシーンの方が良かった」とか何とか言いたくなるような。


・それで良い映画だった。長澤まさみの、口をはっきり開けきらないようなアンニュイな発声の魅力が全面に打ち出された名作。そしてスタッフ・ロールの背景としてあの油絵が使われてるところとか、全体的におしゃれだ。油絵自体はやや謎だ。そして例えばコロッケが食べたくなるが、もう少しコロッケが食べたくなるような演出があれば尚良かったと思う。FOODと風土の理論。


・「カルチェ・ラタン」という名称の部室棟?が舞台になっていて、それが良い。きっと中央線沿線沿い(西側)に住んでいる自分のような人にとっては「ああ、ああいう建物って当時あったのだろうし、探せば今もきっとあるのだろうし、そういえば、あそこのあの飲み屋とかって部分的にどことなくカルチェ的な…」と思ったりするけれども、しかし一方、この国のどこか、例えばジャスコ的なサヴァービアにあっては、どこを探しても「あの感じ」や「あの感じの残り香」は、普通にないのだろうな、と普通に思ったりする。


・90年代とかそういう時代によく聞いた(ような気がする)のは「60年代とかに描かれた『未来』は来なかったよね」という(それが「フューチャー・レトロ」なのかどうなのか/厳密にどういう意味で「来なかった」のかわからなかったけれども)フレーズだったけども、しかし一方、カルチェ・ラタン、のような建物を見て、そのあとでふと、今の学校はオフィスビルみたいで、suica的なカードで、ピ、とかいって出席取ったりするんだよなぁ、あるいはまた高校生が一生懸命背伸びしてお酒とか飲んだらtwitterだかfacebookとかで通報されたりするんだよなぁ、と思うと、あれ?わりと『未来』来てんな、と思う。


・最近特に、来てんな、と思う。