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  映像研究

東北へ行く記録・2日目

 
・6月27日(月)。雨。5時半に起きて旅館の朝食を食べて出発。遠野から車で小一時間ほどで釜石へ。ボランティア作業の本部になっている小屋へ行って登録をする。8時半の受付には沢山の人が集まってきている。作業のための用具の貸し出しコーナーがあったり、その日の仕事を割り振る仕組みが表になっていたりと、きちんとしたシステムが出来ていることは、考えてみれば当たり前ではあるのだけれども「凄いことだよなぁ」と思う。それで男性2人と女性3人の健康そうなグループでありそうな私たちは「木材を運ぶ作業」にマッチした(「マッチング」という言葉が新鮮だった)。係の人から作業の内容を書いたプリントを貰って出発する。


・車で20分ほどかけて釜石市の中心地から少し離れた、恐らくは住宅街と思われる場所へ移動して作業を始める。津波で流されてしまった一軒の家の部分、柱や、床板や、サッシや、建具や、かもい?や、欄間?や、そういったものを拾い集めて(それも凄いことだなぁ)既にまとめてある場所から、元々その家が建っていた、今は基礎だけが残った場所へ運ぶ、そのトラックから木材を積み降ろして、可能な限り部品別に分けるという作業。その家に住んでいた家族の方とともに「それは柱だからこっちへ」とか「板はなるべく乾きやすいように重ねましょう」とか教えてもらいつつ運ぶ。「がれき」という言葉をよく聞いていたけれども、基本的にその場所にあった「がれき」と呼ばれるものは「元・家」だった。


・鍋とか、電子レンジとか、折り畳み傘とか、椅子とか、マグカップとか、お風呂のタイルとか、ぬいぐるみとか、スキャナーとか、バスケットボールとか、そういう物が元々あった場所とは違う場所に、泥がついた状態で在る。そのような物をじっと見る余裕もないし、じっと見ることから何かを想像する余裕もないのだから、それらは景色としてみるより他なかった。10時から15時まで作業。その家の家族の人に見送ってもらい(栄養ドリンクを貰って)帰る。途中に明日から仕事なので今日で帰る部長を駅まで送り届けてその後温泉へ。迷彩の柄のジャケットを着た方々も沢山汗を流していた。その後旅行時に恒例の道の駅の散策は岩手の玄米を購入。


・旅館に戻ったならば昨日に続きちょっと驚くほどの充実した夕食に舌鼓。食堂のテレヴィジョンでは『クローズアップ現代』という番組が「シェア」を特集していたので、その内容についてああだこうだと言いながらも基本的には好意的に鑑賞。こんなにも早く国営放送で「いまは『物を所有すること』や『物を購入すること』が格好悪くなった時代です」というフレーズを聞くことになるとは思わなかった。オークションよりも物々交換がトレンディだ。車も、家も、時間も、あらゆる何かを「シェア」することについて考えつつ、とはいえ明日も作業日なので(何をするのかはこの時点ではわからない)早めに就寝。