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  映像研究

きのこの道の険しさについて。

 
・11月3日(水・祝)。きのこ狩りへ。昨年に引きつづき職場の「その道の人」に連れていってもらい関東近郊某所の「その道の人しか知らない道」へ。素晴らしく晴れた秋の日。高速料金も1000円で、山は紅葉真っ盛り。何も問題がない水曜日の祝日。昼前に某所近辺に到着して富士山の見える高台でお弁当を食べたならば、いよいよきのこを探すべく道なき道へ足を踏み入れる。



・そうして林の中を歩いてみる。そうするときのこは当然あったりなかったりするのだ。去年と比べてきのこを「見つける」ことは上手くなっていると思うのだけど、やはりきのこを「見分ける」ことはひたすらに難しい。図鑑を左手に持って調べようとしたところで、そもそも何をきっかけに右手の中にある物を調べてよいものやらわからないのだった。そして「その道の人」にその件について訊ねてみたところ「一年間図鑑を読みづける」という勉強法(?)を教えてもらった。なんでも一年間ずっと図鑑を読み続けていると、きのこを見つけた瞬間自然とその名前が口をついて出るらしい。素晴らしいことだ。そして素晴らしくその道は険しいけれども、そこまで行かずとも、せめてもう少しだけきのこの名称を、ぼそっとつぶやけるくらいになりたいと思う。



・そうして採取したきのこを集めて最終的に選別して、スープにしたりカレーに入れたりして食す。お酒を飲んだり美味しそうなチーズをつまんだりしながら「きのこ」を食すのだった。大の大人の休日に相応しい自主的なレジャーの形態に関しても本当に素晴らしい。普段はまあ「お疲れさまでーす」くらいの間柄の人びとが、今日は真顔で「きのこ」の情報を交換する。間違いなくそこいらへんの品行方正そうな小学生よりも、真面目にふざけたことをしていると思う。「きのこ狩り」という名称自体が何となくふざけてるもんな。そうしてコントラストの凄く強い光の中を一日中歩きまわって、まるで夢のような時間だったのだからふわふわしているのだけれども、もちろんそれは特殊なきのこの特殊なエフェクトに寄るものではありません。文化の日だった。