&

  映像研究

迫りくる溢れ出しそうな10年代を待ちながら走り抜ける備忘録その1

 
・とうとう始まってしまった今。正月休みを挟んで年度末まで走りつづける超現実的な労働のシーズンが始まってしまったことを考える今。年末感の加速度と業務の極まりとサンタ的なイベントと、その他諸々が相まってテンションだけは高いのだけれども、毎年この季節のことはほとんど覚えていないことが本当に恐ろしい今。とりあえず風邪をひかないようにしようじゃないかと思う。思った結果レモンを絞り、蜂蜜と少量の生姜にお湯を注ぎ、ハチミツレモンを作る。レモン1個分のビタミンCだ。


・昨日は妙な日曜日の夜だった。業務終了後、映画まで少し時間をつぶそうと思って立ち寄った新宿BEAVERにて「隣の山部・総長」ことSMDくんと偶然的に/運命的に遭遇してそのまま駅中の喫茶コーナーでマウンテンのミーチングへ。アウトドア・アクティヴィティについての比較的現実的な話題、最近の興味などを話し合うことで、やはり私たちは「登るだけ」では済まされないのだなぁとあらためて思った。登るだけでなく、どうしても(何らかの方法で)表現したいのだなぁ。それにしてもその「マウンテン」をどのように伝えれば良いのか。勢い余って「00年代=オタク、ならば、10年代=マウンテン、なのではないか」と口走りつつ、モバイルでつぶやいたりもしてみた。そしてそれはただ闇雲に口走っているだけでもないのだから、気味悪がられても仕方がない。ちなみに「オタクに代わりマウンテンの時代…」と口にしたならば、すかさずSMDくんはリュックサックからバンダイから出ている食玩(これも玩具なのでしょうか?)「日本名峰コレクション」を取り出してくれたけれども、そしてそれは完全に「山のフィギュア」だったのだけれども、厳密に言うと「オタクに代わりマウンテン」とはそういうことではない。それはただの「マウンテン・オタク」だからだ。等高線に萌えたりしていても仕方がない。森ガールだって全然関係ないだろう。


・そんなやり取りをした後ですっかりハイテンションのまま吉祥寺で下車したならば、バウス・シアターで『爆音ソクーロフ』の一作目『セカンド・サークル』を観賞する。率直に言えばもっと爆音でも、変なプログレみたいな音がもっと鮮明に聞き取れる程度に爆音でも良かったのになぁと思う。しかし爆音はさておき、このところずっと「ソクーロフ」が観たかったのだから、良い機会だとばかりに可能なかぎりすべてのプログラムを観に行ってみようと思う。アフター・スクール of スクールとしての、アレクサンドル・ソクーロフの12月。しかしうっかりすると風景や部屋の様子がオシャレすぎてすっかり見入ってしまう自分はクウネルの「ダーチャ特集」のことを思い出していたりもしていた。ボロボロのホーローのボウルみたいなものは、この現代の2009年末には最高にオシャレな物体なのです。身に覚えのないオシャレ。オリジンとしての暮らし系。アレクサンドル・祖クウネル。一応駄洒落です。


・日々細々とつぶやいていて変化するのは、言葉の使い方、言葉をドロップするハードルの下がり具合に驚くこともしばしばです。あるいは年末の忙しなさのせいでしょうか。言語表現のデフレーションとしてのtwitter。しかし「語り得ぬことは語り得ないのだ」ということを可能なかぎり明確に示そうとした結果、ことばを脈絡なくブロックのように繋げ続けて出来上がった歪な形態が、過ぎ去ってゆく時代の風景であり、その時代の無意識の表現なのだとしたら、来るべき(2週間と少ししたらやってくるのかも)別の時代には、別の言葉が話され、送信されるだろうと、今現在はそのようなことを考えている。走りながら考える。