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  映像研究

キノコと出会う。キノコとのつき合い方について。キノコとは。

 
・ひょんなことからある晴れた秋の日(平日)にキノコ狩りに出かける。事の始まりは半月ほど前のこと。職場のタイム・カードに「キノコ狩りに行くのですが興味ありますか?」という旨のメモが指し込まれていたときには、それが何かの隠語か、直球の怪しい誘いか、あるいは新手の苛めか…何ていうことは全然考えず、思いがけぬファンタスティックなリクリエーションのお誘いだということが即座に理解できた。普段の業務では本当にちょっと絡むくらいの方々から直々に声をかけてもらったとあっては、やった、日頃から山っぽいファッションで出勤してた甲斐があったなぁ、何ていうことは考えないものの、それでもそれが「キノコ狩り」であることも含めて、そんなリクリエーション、楽しみでないわけがないじゃないかと思う。


・「キノコ狩り」について、任意の100人に聞いてみるような類いのクイズ的なものがあったならば、そしてその対象が例えば「中央線沿いの喫茶店でひとり佇む30代男女」だった場合、恐らくは1人か2人は「小沢健二のドゥワチャライクのキノコ狩りの回」を挙げるであろうことに希望を捨てない自分だが、とりあえずそれはさておき考えるべきは「キノコ狩り」の醍醐味だ。朝は山梨県の某JR中央ラインの駅でハイウェイチームに拾ってもらって合流し、車中で「キノコ図鑑」を読みながら早速のコーチング・of・キノコ。それにしてもキノコ図鑑は面白い。何が面白いかって、とにかく膨大な量のキノコにちゃんとひとつひとつコメントがついているところが素晴らしい。そして食べられるキノコのコメントには最後に「食。」と書いてある。例えば「黄色く薄っぺらいカサが特徴である。食。」というように。しかしその中で「全体的にカブトムシ臭がする。食。」というものが(しかも複数)あって、いやーそれは無理して食べなくてもいいんじゃないかな〜と思ったりすることも含めてキノコもキノコ図鑑も素晴らしい。


・JRの駅から30分程度。先輩たちが毎年訪れる秘密のスポットに車を停めてお昼ご飯など食したのち散策。春に山菜を採りにいった時も思ったけれども、植物(菌類も)を採取するには独特の「集中しすぎない集中力」のようなものが求められると思う。「キノコという物」を探すというよりは、周囲の様子から察するに、ここにはキノコを置きたくなるでしょう、というような場所に近づいていくような感覚、とでも言いましょうか。目が慣れてくると結構普通に見つけられるようになる。確かに普段山登りの間だけでも相当な数を見ていることから考えれば、本気で探そうと思えばあるべき場所にならば、そこここに見つからないわけがない、などと言えば、しかしそもそもそのスポットを発見することが難しいのだから、偉そうなことは何も言えないと思い直したりもしたのでした。そんな生きていく上で大切な色々なことを教えてくれもするキノコはやっぱり素晴らしい。


・そのようにして収穫したキノコを調理する。焚き火を起こす。主要なメニューは、キノコがたっぷり入るべくして入った「キノコ汁」と、キノコがたっぷり結果的に入ってしまった「キノコカレー」。収穫した時は世にも負のオーラを発していたキノコもあったので、全く怖くないといったら嘘になるけれども、ファンタスティクなY先生と素晴らしい図鑑を信じて、もちろん食べてはいけないものを選り分けた後のことだけれども、それでも食すのにはかなりの勇気を必要とする。そしてしかしすべての怪しげだったキノコを食べたならば、例外なくすべてが美味しいことを知る。その「怪しげ」から「美味」へのイメージの変容はちょっと感動的ですらある。あんなに変な、生き物…だか生き物じゃないのか、何なのかわからない、海のモノか山のモノか…といえば「山のモノ」であるに違いはないとして、しかし…それわざわざ食べる?みたいなものが、ひとつの体系を持って存在していることの面白さ、を思う。誰もが気になる「毒」に関しても、図鑑を読む限り相当にグレーゾーンが大きいらしく、そこもまたところもミステリアスといえばミステリアスだ。


・そのような秘密の森のパーティーは健康的に8時には終了。キノコと初めて向き合った秋の一日の備忘録。