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  映像研究

2009年の(断片的な)夏休みの備忘録・その8(高尾で見る練習編)

 
・8月17日。月曜日。やや二日酔い気味なこと以外はとても爽やかな朝。高尾でのんびりと過ごす今日は最後の8月の晴れた日になるかもしれないので、昼前には準備をしてさっさと(インターネットなんてしてないで)家を出る。愛機2号のα350xactiを抱えて家を出る。半ズボンにリュックサック、リュックサックの中にはポカリスエットを詰めて家を出る。今日は「見る練習」の日、略して「見る練」の日にしようと決めた。色々なものを色々に自由が許された時間の中でぱっと見たりじっくり見たりしたい。そして何かを見ながらタイミングを計ってシャッターを押したならば、その見た結果は写真となって現れるかもしれない。そしてまたそれが見てみたい。そんな気持ちわかるでしょうか。



高尾駅からバスに乗って「小仏峠」へ。20分程度ローカルなロードを揺られる。到着したならばそこから歩いて戻ってくる、ちょっとしたウォーキング。アスファルトからの照り返しが夏のそれと比べて少し柔らかいのが、手加減をされているようで少し悔しいのはこの夏あまり外で遊べていないからかもしれない。蝶を追いかけたり植物の緑色さに翻弄されながらも「日影沢キャンプ場」付近に到着。立ち寄る。また今日も「森の図書館」が休館で残念。この図書館とはなかなかタイミングが合わない。それでも避暑する家族を横目に写真を撮る。というか色々なものを見る。



・その後高尾駅方面までの道では「圏央道」の工事の具合が印象的だった。色々なものを見る、その「色々なもの」の中には工事によってこの場所からなくなることになるのであろう山や木や土やそういったものも含まれたりする。今は山が裸にされたような状態なのだなぁと「見る」ことで考える。これから道路が通される。個人的にはあまり合理的な判断とは思えないけれども、それでも誰かがどこかでこのような計画を「思いついてしまった」のだろうことは理解できる。そしていつも誰かがどこかで(今この瞬間にも)今よりも「生活を便利にすると思われるような」アイディアを思いつこうとしている。そしてそのアイディアは思いついてしまったならば、ほぼすべてが何らかのかたちで実現してしまうのだろう。ならばいっそ思いつかなければいいのになぁ」と思う。しかしそれは無理なので「思いついた上で(あえて)実現しない」という選択の重要性について考える。考えてみればその「(あえて)実現しない」ことの根拠をどのように示すかということが重要なのだと思った。



・帰宅する。ややあって夕方から八王子へ。今度は街を散歩。でももう「見ること」には疲れているので、古着屋など入って面白そうな洋服の面白そうな生地をなでたり引っ張ったり(伸びない程度に)などして過ごす。夏の終わりの夕方らしい時間。夜温泉施設に行き入浴、あがるとオシャレ番長ことI君からTEL。ふらっと町田から向かっているとのこと。合流して誕生日プレゼントにエキセントリック柄のソックスを頂く。本当にありがとうございます。というか本当にこの数週間人に物をもらいすぎて、最初は慌てて、そのうち普通に喜べるようになり、しかし最近はちょっと怖いくらいです。何かいたたまれないなぁという気持ちを別の機会にきっとプレゼントで返そうと思う。その後再び八王子まで出てカフェ的な店で夕食。世にもオシャレな話で盛り上がりつつもお互い明日は仕事ですので22時過ぎには解散。



・色々なものを見た休日が終わる。