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  映像研究

日曜日になにを買うか。あるいはなにを買わないか。なにも買わないか

 
・2008年の10月。ある日曜日の業務帰りに立ち寄った書店にて気づいた事柄とそこから考えた事柄の備忘録。


・2008年の10月は秋の行楽シーズン真っただ中。『ブルータス(ワンダーフォーゲル主義)』につづき『エスクァイア(美しき日本の山々へ。)』までもが「特集・山」で、これはいよいよ紛れもなく史上空前の「オシャレ・登山ブーム」がやってきた的な(それこそ下界まで降りてきた的な?)ニュアンス。巻頭の「加瀬亮×ホンマタカシ穂高の山頂へ。」は現在「山」を扱うページとして考えうる限りの「オシャレ・ブッキング」であるように思われるけれども、そんな「加瀬亮」にも増して圧倒的にフォトジェニックなのは、他ならぬ「山」なのでした。「岩」であり「樹木」であり「雲海」である、つまりそれが「山」なのです!(強調しつつ、2回言ってみた)。そして、ある被写体をフォトジェニックである、と感じる意識は多分にその「時代性」とでも呼ぶべき雰囲気のようなもの、に左右されるところがあるのだから、つまりそのことが、その感覚を感じるということが「あるものが流行っている」という状態なのだとか考える。


・ちなみに2008年の10月。現在全く流行っていないのは「株券」だ。どうやら今「株券」は全くナウくないので誰もがそれを手放そうとしているようだ。あるいはそれとともに「アメリカドル」も「日本円」もここのところどうにもダサくなってしまったようなことなのかもしれないなぁとか、そんなようなことをこの数日考えていた(ずっと考えていたわけではないです勿論)。



・しかし私(たち)は、例えばそのようにして手放した株券(あるいは株券的な何ものか)と引き換えに得た僅かばかり(?)の貨幣を(あるいは集中力のようなものを)一体何に使うべきなのだろう(あるいはそもそもそれは「使うべき」なのだろうか?)。



・考えられるひとつのあり方は、それをまた別の「比較的オシャレなもの」と交換しようとすることで、それは例えば「風車」とか、「農業」とか、「北欧?」とか(思いつく順にかなり雰囲気で並べています一応)。そしてあるいは我らが(?)「山」も、そして「森」も今やそれらの中に加えられるのだろうか(そこに投げ込まれようとしているのだろうか?/例えばまた別の雑誌では「LOHASで有名な音楽家×ルイ・ヴィトン×森」というような特集を見つけ、そこで思うことは「森、流行ってんな〜」というような感想だ)。ここで、曲がりなりにも「趣味は山登りです!」という自己紹介も定着してきた自分として、どうしてもちゃんと考えておきたいことは、『「山」がそれ自体あまりにも面白いものであるということ』と、『「山」が現在あまりにもフォトジェニックであること』が、それぞれどのような社会のレイヤーに対応する感覚なのかというようなことなのであって、しかもそれらをきれいに切り分けられれば話はわかりやすいのだけれども、多分、どうやら、そういうわけにもいかないようだ(それはあまりにも難しい/眩しすぎて見えない)。


・ややこしく書き連ねつつも、つまり結局「それがトレンディーだからって「山だ山だ」言ってるわけじゃあないんだよ(むしろ「トレンド」を相対化するものとして「山」はあるのだよ)」という考えと「え?まだ山じゃないの?遅いよ!(「山」を全力で「粉飾決算(使い方合ってるのかな?)」してみようという挑戦だ)」という考えがあり、自分はおそらくその「どちらだけでもなく、どちらでもある」ということであって、なぜそれが両立するかというとそれは「あるものをオシャレだと思う」というその感覚自体に「目に見えるものを信じる(そこに他のものとは違った力を感じる)」ことと、「目に見えるものを疑う(それが他の多くのものとの関係で成り立っていることを考える)」こと、その両方が含まれているからなのではないだろうか、というようなことを(これは全くの仮説としてですけれども)考えていたりするからなのでした。


・あるいはもっと思いつき的なレベルで(居酒屋トーク的なレベルで)「なんかさー不況になるとアウトドア服流行るっぽくない?」とかっていう切り込み方もあるのだけれども、こちらはあまりにもつじつま合わせ感が否めないので、個人的な身体感覚だけに留めておこうと思います。あらゆるアパレル的な映像の中で「ダウン・ベスト」が最もアウラを感じさせる、やたらとキラキラしているように感じられる(ちなみにそんなトレンドの中では「伊勢丹のメンズ館」と水道橋の「さかいや」はどちらがオシャレなのだろう?)、そのような2008年の10月に、私(たち)は、なにを買うか。あるいはなにを買わないか。なにも買わないか。