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  映像研究

10月のバック・パッキング in 金峰山&瑞牆山(1日目・奮闘編)

 
・10月のバック・パッキング強化月間も実にこれで3度目のアクティヴィティ。3度目ともなれば、もう持ち物はとてもコンパクトに(嘘。むしろだんだん増えている)、そしてバックのパッキングは実に的確に(これも嘘。やっぱりどこかへっこんでいたり飛び出していたりする)、少なくとも電車とバスのリサーチはスマートに(全然嘘。かなりの同行者頼みだ)、そんな(小)レベル・アップを積み重ねつつも、とりあえずこのように気候に恵まれて、面白おかしく山に登り続ける夢のような日々だ。そう、夢のような日々を生きている今。そしてまた今月に関しては3度あったうちの3度ともが、違った「マウンテン・アクティヴィスト」との交流でもあるので(しかもタイプも全然違う)、こうしたかたちでのそれぞれの活動が継続されていくことを、そしてやがてはそれが少しずつ繋がっていくであろうことを考えるともうワクワクしっぱなしだ。




・午前6時に高尾を出発する。慌てて各種ギアをバックにパッキングしつつも、出がけのインターネットでチラ見した「ハニカム高城剛のインタビュー」が(色々な意味で)面白そうだったのだけれども、マウンテン行きのトレインに乗り遅れてしまっては「本当の21世紀」どころではなくヤバいので急ぐ。それにしたって「自由」とか「リベラル」とかいう言葉があらゆる場所でとても多く聞かれる今日この頃、そしてその定義について誰もが自分の考えを(立場を?)明らかにしているべきだと思われている今日この頃、そのような今に、そのような意味での「自由」とか「リベラル」とかいう言葉とは違った意味での「勝手な面白さ」へ、寝ぼけまなこで、急ぐ。




・JR中央ラインで山部・部長と合流して韮崎駅からバスでの出発。バスの車窓からは「ハイジの村」(国、だったけかな?あれ?スイス村??)が見える。国道沿いにパタパタと並ぶスイスの国旗は不思議と言えば不思議だけれども、とても自然な風景のように思えたりもする。そのようにして夢うつつでバスに揺られて瑞牆山(みずがきやま、と読みます)の登山口である瑞牆山荘へ。移動する。バスは林道を走り抜ける。




・そういえば多くの人が働いていない土曜日日曜日に山登りをするのは実に久しぶりのことなのであって、その人の多さにあらためて「果てしない登山人口」の一端を見る。人、また人。山には人が集まってくる。もちろんそれに登るためにだ。そして山に登る色々な人の表情を見ていて思うことは、「山に登っているとき」あるいは「頂上に立って風景を眺めたとき」の、わぁ、山だ、すごい、大きい、みたいな感覚はかなり多くの人が、同じようなことを感じているのではないかと思う。しかしながら、その感覚を生活の中のどのようなものとして位置づけるかは、多分人によって違っている。



・岩場だらけでかなり消耗しながら瑞牆山を登っては下る。登りは強がって撮り続けていたxactiの「終わらない山岳・実験・映像」も、下りではさすがに自分の身体能力との兼ね合いで小休止。これ以上の実験性を求めるならば本当に映像機器をウェアに装着するか、そうでなければ最早映像機器を身体に埋め込まなくてはいけないけれども、自分は全然そんなことがしたいのではなかった。山で見ていたもの、山で見ていたはずのもの、山で浮かんだ言葉を、映像と音によって記録しておきたいだけなのだった。しかし実際のところ自分が喋っている言葉といえば「この山、100名山で一番きついらしいよ!」ぐらいのものだ。これを5分に一度つぶやく。そうすると4回目くらいから少し面白くなってくる。これはいわゆる?「天丼」です。そんなときにも高度が変わるにつれて、風景はどんどん変化している。そのような連続。連続性の中で浮かぶ思考。



・夕方には「大日小屋(何か凄いネーミングかも)」の前にテント、エア・ライズ a.k.a もうひとつの家、を建ててお茶を飲みながら星が出るのを待つ。そして夕食はいつもの「アルファ米で適当にお腹を膨らませる」スタイルから、あるシーンで盛り上がりつつある「ウルトラライト・ハイキングの土屋さんの教え?」に従って、ひじきや高野豆腐など乾物などを組み合わせて、山/食のネクストステージに突入してみた。なぜ突入するかといえば、それが、そっちの方が「面白そうだから」ということで間違いはない、という話。



・あるいは「食」について考えてみれば、「なぜ私たちは2000年代半ばのある時期、狂ったように『和風ダイニング』にお金を落とし続けていたのか」についてのミーチング。「居酒屋に行ってメニューの端から端までを注文することが、面白くて面白くてしょうがなく、かつ『オシャレ』だったかもしれない感覚」を経て、今はまったくそのように思えないならば、このような『オシャレ』についての感覚こそが、たとえば「経済」のようなものについて考えるためにも有効な手段である、というような話。



・あるいは、某ファッションビルが提供する「赤いカード」と仲良くおつき合いしながら「毎週のように新しいスニーカーを買ったりする」ようなこと(注:主にヤフー・オークションです)がすっかりなくなったのは、それに飽きたからだと一言でいってしまえば確かにそうなのだけれども、とりあえずそれは何かを反省したからだとか、何かに目覚めたからだとか、そういったことではないという話(厳密に言えば全くない、とは言い切れない)。むしろこれは「『お洒落をする』ことが『オシャレ』ではなくなった」という感覚に正直でいるという意味において「よりオシャレであること」を目指している、その結果であるのだという話。そして確かこのような感覚に少しだけ似たかんじの大きな波はちょうど10年前にもやって来て、その波が来た結果「美術大学生的なオシャレな人は全員ユニーク・クロージングの1900円のフリースを着る」という結果を生んだという記憶。そしてこの先に次の大きな何かがやって来ても、多分(少なくとも僕らは)ユニーク・クロージング的なものすら「オシャレ」とは感じられず、恐らくはただ、本当に機能的な最低限のものを身につけるかもしれない、という話。をしていたような気がするけれども、眠いやら寒いやら(2000mはやっぱり大変だ)で、そのようなミーチングの記憶は満天の星空にとろけてゆくのでした。つづく。