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  映像研究

面白いことについて

 
・今週は専ら忙殺。加えて厳冬。たたみかけるようにして雪。しかしそんな季節だけれども昼間の時間は確実に長くなる。夕方5時はすっかり明るい。それは何とも心強い季節の変化だ。


・8日(金)の業務後はチーム同僚に残業を丸投げしてアフター・スクールofお勉強@国際文化会館


アントニオ・ネグリ初来日記念プレ企画 パネル・ディスカッション
アントニオ・ネグリ 反逆する時代の知性”

姜尚中東京大学教授) 「『帝国』とアメリカニズム」
宇野邦一立教大学教授) 「生の政治のゆくえ」
竹村和子お茶の水女子大学教授) 「マルチチュード/暴力/ジェンダー
木幡和枝(東京藝術大学教授) 「マルチチュードと芸術」
市田良彦神戸大学教授/モデレーター )


・というものを聞きに行く。そしてこれは予習だ。3月末に東京大学やら東京芸術大学やらで行われるらしい、あんなイベントやこんなイベントは何やら祭り的な(芸大の方だけ?)趣らしく、よくわからないなりに遊びに行こうと思うのでそれはそれで良いとしても、いずれにしてもやっぱり「マルチチュード」について、それが何を意味するのやらさっぱりわからないとなれば、どんな祭りだって楽しめそうにない。そんな素朴なモティベーションで六本木に向かう。


・内容としては、アントニオ・ネグリの主要な概念<帝国>と「アメリカ」について、「<帝国>=合衆国」では決してないのだけれども、それでもやっぱり世界の中でのアメリカに関してはある種の「例外」として考えざるをえない、というような比較的(あくまでも、比較的に)直接的に政治的な話題が中心になっているように思える一方で、木幡和枝という人が「マルチチュードと芸術」(ちなみに今『芸術とマルチチュード』という本を読んでいるのだけれどもあまりよくわかっていない)について、その場合における「マルチチュード」を方法としても示すようなアッパーで素敵なプレゼンテーションをしてくれたりしたことも良かった。


・ちなみにそのプレゼンテーションの中で挙げていた「芸術は革命に先んじてある」というような言葉は、自分としては少し格好良すぎ(てスタイリッシュだと思ってしまう)なぁ、と思ったりしたのだけれども、その意味についてなんとなく想像してみるならばそこには素朴に納得できるようなところもある。しかしながら、そのような「芸術」の定義は、現代のそれ(市場と結びついたかたちでの「芸術」の定義)とは異なるのであって、もしもその理想を掲げようとするならば、芸術を『「再」定義』しなくてはいけないだろう、というような話題は、他のどんなトレンディーな事柄よりも刺激的だと思う。


・そしてプレゼンテーションやディスカッションで各パネリストによっておそらくは数百回発せられただろう「マルチチュード」という語句について、それがどういった概念であるとかないとかは、しかしながらその話し手によって、またはその文脈によって微妙に違う内容を含んだ意味を持っているように感じられて、しかしそれも含めて、面白かった。面白かったので、最近出たらしい本も買う。


・そして自分は「面白かった」を連呼している。面白いものの面白さこそが考えるべき事柄の一つだと思う。


さらば、“近代民主主義”

さらば、“近代民主主義”