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  映像研究

漠然とした、サーヴィス

 
・「漠然としたサーヴィス」について、考える。それは、誰のためであるかはよくわからないけれど「何となくよいことである」という動機でなされている、社会的な行為とその行動原理のこと。


・それを考えたのは「自分の職場の喫煙所が撤去されたこと」からだったりする。この場合「喫煙所が撤去されること」は一体誰かが本気で必要としていることなのだろうかと考えてしまう。むしろぼくと同僚の独自の「桶屋理論/バタフライ効果」(風が吹くと〜という想像を最大限に拡大解釈するというもの)によると、この喫煙所がなくなることによって、少なくとも「日本の美術界は大きな打撃をうけ」「少子化に拍車がかかる」。そんなようなことを、さも学術的なことのように、冗談として、話していたけれども、その「理論」はもう少しアイロニーとして「機能」しないものだろうかとも思う。


・大切なことは、喫煙所がなくなることによって失うものが少なからずあったとしても、そこで失うものを指し示す言葉が圧倒的に不足しているということ。更に、ぼくはタバコを吸わないけれどもそのことに対して違和感を感じるということ。そしてそのことから考えることは「当事者性」というものは自分の属性によるものではなくて、他の人との関係性の中に考えるべきことだと思うということ。



・ちなみに仕事前に、ミクニヤナイハラ プロジェクト(ニブロール)『青ノ鳥』を観に行きました。上の話題とは全く関係がありません。