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  映像研究

繰り返し、体力

 
・201809110929。中央図書館。同じ時間に同じやり方を繰り返す。力のない自分が唯一できることはこのような繰り返すことである。不条理とも言えるのだろうか。しかし夜中に面白いことを思いついたからといって疲れ果てて眠るまで継続するようなやり方を自分は選択しないだろう。信念、というと大袈裟かもしれないけれども、それは「やってはいけないこと」だと思っている。夜は寝る。興奮しているときにすべきは、一生懸命その興奮の熱を冷まして、質の良い眠りを作ることであると思う。


・繰り返すことには体力と計画が必要だとも思う。計画を立てることは少しだけこの何年かで上達したと思うけれども(業務の予定が入り込んでくるからこそその隙間を狙って計画を立てるという作戦が成立する)、体力とともにある活動ということが上達しないのは、上達とかではなく、単に運動をしていないからなのか。友人たちも師のような人も皆体力を保つための運動をしていると話す。ジムとか。走ったり。泳いだり。村上春樹の例を引くまでもなく(引いている)体力とデクスワークとりわけ「書くこと」との間には、何か秘密があるのだろう。自分もそれをしたいのだが、今はすでに現状のルーティンが駆動しているのだから、9/20を境に、別のルーティンの可能性を探りたいとも思う。


・9/20。それは今の自分にとって当面のゴールなのか。散髪、カイロプラクティック、歯医者、友人と飲食、寝ても覚めても、フランス語、そして業務。やりたいことやるべきことやらねばならぬことは多くあるが、その全ては「楽しみ」として、未来の自分に先送りしているようでもある。


・いま60%くらいまで来ていることを感じながら。作業に戻る。