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  映像研究

レコーディング

 
・201809120911。開館と同時に中央図書館。3日連続で作業できる最後の日になってしまった。論文を書く作業を「ミュージシャンにとってのレコーディング」のようなことだと考えてみる(ゆるい現実逃避のため)。前日までに撮った(書いた)部分を聴き直して(読み直して)、その続きを歌ったり演奏してみる(ラフに書き進めてみる)。一番集中が必要なのは推敲で、それはなんだ。ミックスとかなのだろうか。健康で、意識がはっきりしていないと良いパフォーマンスができないことが共通しているように思う。レコーディングしたことないからわからないけれども。


・だから図書館はスタジオだ。自宅でもやれるにはやれるが気持ちがちゃんとする。集中と解放のバランスが取れる。変な本に手を伸ばしたり、ご飯を作り始めたりしなくて良いから、ただ一日11時間論文のことだけを考えることができる。あらゆる意味で贅沢だと思う。


・一人で作業をしているということも自分にとっては重要である。文章を書くことは、誰かに読まれない限りは完全に一人だし、もしやめたくなって消してしまったら、それはまったく残らない。そういう意味でも自分で責任を取れるアクティヴィティでそれはそれとして気が楽でいられる。「自分で判断する」ということ。切るのか切らないのか。書くのか書かないのか。もちろん仮想読者はかなり具体的に何方向かで想定しているけれども、そういうこととは別に、自分で決めてフォームを作ってゆく。考える→作ることの原型のようなことであるな、と改めて思う。


・中断して作業。