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  映像研究

書くことのために書いている

 
・今年度(特に前半)は出来る限り攻められる限り本当に事故にならない限り自分のペースでやる。今日は月曜日で休み。読みたかったいくつかの本を読みながら寝る。ホックニー『絵画の歴史』は全然別の角度から自分が考えていることを支える。土方巽についても知りたい。ユベルマン『ニンファ・モデルナ』はもう一度読む返す必要があると思った。他に図書館で借りている星野太『崇高の修辞学』の全体の構成を見て論文の書き方を考える。購入していた『PERK』という女性誌をパラパラするなど。


・すっかり暖かくなって夏日にもなり着るものが変化する。どこかで誰かが(そういう場合は知らない人のTwitterだったのだと思う)「時々自分が持っているすべての服がしっくりこなくなることを『脱皮』と捉える」というような意味のことをおそらくは140文字以内で書いていて、全部の洋服ではないまでも、いまの自分の感じはそういうことかもしれない。ややてろっとした素材の暗い色のパンツは安価でありながら「それなりに」すっきりとして見える、ということがバレてしまって、セレクトショップにそのような商品が多く並んだ結果、飽きてしまった、ということもある。違和感は大切だけれども、違和感はすぐにトレンドになるだろう。無視しない程度のトレンドとの付き合い方について。


・そうして着るもののことばかり考えているならば、そういえば数年たったならば、不惑、とか言われるような年齢なのにも関わらず、脱皮とかしている場合なのかどうかと考えないこともない。少し時間が空いたならば古着屋に行ってしまうのもどうなのか。しかし同時に年齢がどうとか考えていると面白いことも面白くなくなることも事実なので、なるべく面白いことを面白い状態にしておく工夫も大人の嗜みであってほしい。あるいは考えることがあるならば、それは「年齢」ではなく「健康」である。そして健康と研究の両立について。


・書くことのために書いている。これはリハビリというものかもしれない。本を読む、文章を書く、料理をする、写真を撮る、運動をする、並行してできることがあればよいけれども、なかなかうまくはいかない。本を読む、ストレッチ、くらいで精一杯。