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  映像研究

『うさぎ!』から10年を思い出す。

 
小沢健二という人が「子どもと昔話」に『うさぎ!』の連載を始めて丸々10年だということに気がついた。2005年の10月の終わりに自分は実家から荻窪のアパートへ移動して初めての一人暮らしを始めた。今と同じ業務をしていたことは覚えている。渋谷に事務所を借りて友人たちと映像制作のようなことをしていた。そして(確か)11月3日には当時の同僚と夜行バスに乗って、京都へ友だちの展示を観に行ったことも覚えている。そのような日々のなかで自分はあのテキストを手にしたのだったということを、少し懐かしく思い出して、しかしそのことを今と地続きのひとつの点として捉え直そうとする。


・それから自分は高尾の平屋に引っ越して、稲城の山小屋のような家に移り住み、現在はその近くのアパートメントで生活をしています、と引っ越しの軌跡を辿ることが、自分のある生活の変遷を確認することでもある。それぞれの家にはそれぞれ少しずつ違った生活があった。場所も違うのだから生活のリズムが変わるし、空間も違うのだからからだの動かし方も変わる。空気の感じも違うならば着ている服(主に部屋着)だって変わり、近くのスーパーの品揃えはどこも変わりはないとは言っても食べるものや飲むものも変わってくる。それらを誰もが同じからだで、いつくかのずっと所有している日用品によって、なんとかマネージメントしている事実は、考えてみると面白いことだと思う。


・「読めない本を読むんだぜ」は「弾けないギターを弾くんだぜ」に比べると、何とも頼りない。読んでいる感じがしない。読めない本には読めないなりの理由がある。例えばその本が元々日本語ではない文章で書かれていて、もしも自分がもう少し英語に堪能であったならば「翻訳が良くないのです」とか言うこともできるかもしれないけど、自分の場合はそうではない。「日本語で」「わかりやすく」書かれているのに、まったく内容をまとめることができない本をこの一ヶ月(休み休み)読んでいて、その険しい読書から逃れるようにして、いまもこの備忘録を書いている。備忘録ならば備忘録らしく「読めない本を辛うして読みやすくする方法」をいつくか思ったのだから、それを書き記しておく。

  • 引用されている参考文献は関係がなくてもぱらぱらしておくと雰囲気が掴める
  • とにかくわからなくても先に進んで先の内容の要約をしておく
  • 音読する
  • 無理にレジュメのスタイルに合わせようとしない


・ここまで当たり前のことを書かざるを得ないのは自分がずっと同じような本の同じような内容が理解できないでいるからだった。「引用されている参考文献」として登場したのはリチャード・ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』で、この備忘録によればそれを手にして読もうとしていたのは2007年の終わりだった。当時の同僚におすすめされたこの本を自分は未だに一度も読み通せていない。