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  映像研究

夏の中心、その後半、雑記。

 
・手紙のように季節の挨拶から始まる備忘録。または庭に置いた鉢植えの状態で綴る夏の記録。高尾のご近所T夫妻からもらった朝顔は今が全盛期。赤紫と青紫の大輪が毎朝咲き乱れる風景。そしてその背後でバジルとイタリアンパセリは出番待ち。トマトは完全にこれからの人。あと瓢箪も人知れずこっそりと蔓を伸ばしております。と、そのように記すことでわかるのは、夏の時間が確実に進行しているということで、全く認めたくないですけれども「夏ももう後半」。朝晩は比較的過ごしやすくなってきました、ということに一体何の意味があるというのか。一体それは誰の何を基準に「過ごしやすい」と言っているのか。暑くて眠れないくらいの気候に包まれている状況こそが「過ごしやすい」コンディションである、という人がここにいる。



・夏の中心、その後半の始まりの地点からこの夏を振り返ってみたならば、何よりもまず7月後半には怒濤のウェディング祭2daysとそのアフター的な集い、そしてバースデー山伏としての北岳から見る日の出、更に北岳から帰ってきたならば毎年恒例の初夏の大同窓会が拡大版で開催されて、芸能人の息子でもないのに都内某所の閑静な住宅街の地下室にてパーティー。そのようにしてパーティーとフェスティヴァルと巡礼の境界について思いを巡らせつつ今。人が集まる、その集まり方のクオリティを緩やかに上げていきたいと思う。



・夏は自由研究の季節で、出版社のコピー・ライトにそそのかされて文庫本をまとめ買いする季節で、何かのパッションにスィッチが入って変なレイト・ショーを観に行ったりする季節で、だからそれは広い意味での勉強の季節です。夏の初めに図書館で何となく目について借りてみた「ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー」を読んでみて、音楽的/現代美術的にというよりは、思想的あるいは人が集まる参考事例として「ブラック・マウンテン・カレッジ」が気になって仕方がない。そしてそのつながりとして実家の本棚から拝借しっぱなしの「ジョン・ケージ小鳥たちのために」の再読を試みる一方、いつかタイミングが合ったときに買おうと思っていた「フォーエバー・ヤン―ミュージック・ミーム〈1〉」「YANN TOMITA’S “SUMMER WORKSHOP” [DVD]」を購入してみて「日本・現代・ポップス」との接続をはかってみたりもしている。



・そのような自由研究の研究成果の発表はもう少し。もう少し涼しい気候とともにドロップされたりされなかったり(予定)。