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  映像研究

そういうときだったと思い返すために記しておこうとする新しい記述

 
・慌ただしくも過ぎゆく1月の、冬の、労働の日々。今、この環境におかれている自分がやれること、やるべきこととは何だろうかと考えるのが、毎年12月から年を跨いでの2月後半まで。この数年しばらくそのようなサイクルで活動しているとはいえ、当然その時々の自分が考えている事柄によって、微妙に微妙なその労働や、生活や、志向や、あれやこれやのトレースは少しだけずれてゆく。本を読む時期/読まない時期、料理をする時期/しない時期、言葉を話すのが得意な時期/得意じゃない時期、洋服が気になる時期/ならない時期、などなど。



・日々生活している中で、身近で実際的な事柄からマス・メディアを通した事柄まで、様々な出来事やニュースに気持ちがかき乱されたりするのは非常に自然なことだと思います。そして本日、また特別に特別なほどかき乱されたのが「小沢健二という人がツアーを行う」というニュースだったのであって、携帯電話からアクセスしてみたtwitterであらゆる人が一斉に「小沢小沢」とつぶやき始めたならば「それはどっちの小沢なのか」とか書き込む人もいたりしてさながら小沢祭の様相。そういった右手のソーシャル・ネットワーク的な情報を気にしつつ、さくさくと家に帰ってhihumiyo.netを見て、読んでみたならば、なるほど、確かに、そのようでした。



・数日前には「子どもと昔話」の新しい号を購入して『うさぎ!』を読んでいたのだけど、その内容と書き方に、何か以前の記述とは少し違った雰囲気があるんじゃないかと思ったりもしていた……というような関連付けはしかし、このように情報が発表された後だからこそ言えるようなことでもある(ので自重)。新しいことが始まるのだと思う。個人的には別に昔の音楽を聴きたいとは思わないですけれども、それを新しいこととして表現するのであれば、機会があれば(チケットは難しそうですね)観て、聴いてみたいものだと思う。そこで『うさぎ!』を読んでいたからこそ自分にはわかることがあるはずだ、などと思ったりしてしまうのはポップ・スターに対する正しい反応であるとはいえ……(自重)。



・ちなみに『うさぎ!』の連載は「沼の原篇」が完結しつつも、連載自体は続いていくようであるけれども、しかしふと思い返してみると、連載が始まった2005年の秋から、2010年の初めの現在くらいまで、この期間は後で思い返せば確実に何かのタームであったのだと思うだろう。個人的にそうであると同時に、社会の変化として、というのは当てずっぽうでもあるのですけれども。酷い時期であったような気もするし、更に酷い時期の一歩手前の時期だったと思い返されるかもしれなくて、そこのところはわからない。でも色々と困難な状況がある中で「恐らく自分にとって必要だと思われるような人/物/など」が少し明確になった、と考えるのは、社会の変化だけでなく、自分の立場及び年齢に寄るところもあるのではないかと思ったりしないこともありません。



・そのようにしてどんどん新しいことが起こっていく。そして誰に強制されるわけでもなく、気がつけば自分も新しい状況で新しいことを考えている。