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  映像研究

夕方から夕立・J-POP雑記再び

 
・今日は月曜日だけれど昨日は日曜日。業務の一環で某新宿の広大な緑地を走り回り、目が回り足もフラフラになる。大変によい天気だった六月最初の日曜日。老若男女が日光浴です。夜は今週平日の山部・部活動vol.18のためのマウンテン・ミーチング@新宿の穴場的イタリアン。20時まではビール半額です、と言われたのが19時40分。頑張る。頑張ったけど2杯。しかしその後ついついそのペースで飲み過ぎる(っていう作戦じゃんか)。


・そして遅れてきた山部員Mちゃんの(再)就職祝いで乾杯。アパレルからマウンテンへ。あるいはマウンテンとしてのアパレルへ、の実に華麗なる(そして10年20年先を見据えた)転身の吉報にただただ驚きつつおめでとう。その流れで各々ライフプランニングとしての山小屋についてトーク。「山小屋で働き写真を撮り植物の名前や星座を覚えつつ詩とも何ともつかない文字を書く生活」はどうだろう?と聞いても、誰も止めない(というか誰もがそのようなことを考えていた)素晴らしいGREAT5。フィガロのアウトドア特集のテンションの高さ(森ガール?)についても意見交換。している間にすっかり時間も過ぎてワインだって飲む。食事の献立をまとめたところで解散。



・そして今日は月曜日で休日。休息としての月曜日は雨。降ったり止んだりを繰り返しながらも夕方からは夕立的にざざっと雨。DVDで日本の実験映像の歴史について勉強などしたり、食材を買いに出かけたり。


・数日前にハナレグミの『光と影』をモティーフに「J-POPについて備忘録することの躊躇い/あるいは躊躇いとしてのJ-POP雑記」を備忘録したばかりだったりするので(誰にともなく)恐縮なのですけれども、どう聴いてどう考えても最近出た椎名林檎の『ありあまる富』という曲が面白い。JのWAVEで聴いた時は「わりと地味な曲だなぁ」としか思わなかったのですけれども、ちゃんと歌詞を知った上で聴くと相当に面白い。ドラマの主題歌だそうだけれどもそれは観ていないので、ドラマを観ているとわかる何か(歌詞の意味が…ストーリーの…とか)があったら、その何かについてはわからないのですけれども、メタファーとか深読みとかではなく、普通に歌詞が「アナーキズム讃歌」だとしか思えない。「奪われる(脅かされる)」ことを「虐げられている」のではなくて「妬まれている」と読み替える発想の力と逞しさについて。戦うことを放棄するような戦術について。そしてあるいは「『彼ら』と『僕ら(君)』」って誰だろう、「『壁』と『卵』」みたいなもんかなぁ(微妙に古い時事ネタ)とかも、せっかくだから考えないこともない。


・そしてそんな曲のPVはどんなんだろう、と思って即見てみたところ(素晴らしい情報社会ですね)、これはあれじゃないか、高校生の頃に名画座的な映画館にお勉強だと思って観に行って、全然よくわからなくてうとうとしていたらラストの突然家が爆発する(しかも何十回も)シーンが素晴らしくて、それ以来個人的に大・名画ということになっている(後でちゃんと見直しました)、ミケランジェロ・アントニオーニの『砂丘』だ。だけれどもそんな元ネタ探し/90年代的カルチュラル・スタディーズはさておき(一応書きたかった)、映像も含めた「メッセージ・ソング」の強度として凄いということで、地デジへの移行がああだこうだと言われる(言われてもいない?)今日この頃、ブラウン管のテレビが放り出される映像で始まるなんて超トレンディー(完全に良い意味)じゃないか、とかそういう着眼点もあっていい筈で、だからこそ2009年6月の今日を思いながら「価値は生命に従って付いている」のところで思わずほろっとしてしまったりしたのでした。