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  映像研究

完全に忘れた、だから日記について考えた。

 
・完全に忘れたことについての備忘録。ある日であるところの木曜日は、特に予定がなかったものだから、ジュンク堂新宿店で開催されていた或るトーク・イベントを完全に予約していたのだけれども、それを完全に忘れて、気づいたときには八王子の喫茶店にて完全に読書をしていた。今までこんなことってなかったんだけれどもなぁ。そしてそんな「忘れても良いような」トーク・イベントでもなかったんだけれどもなぁ。


・後悔しても仕方がない。せめてそのことによって誰か別の人がそのトーク・イベントを聴きに行くこととなり、その結果その人がそのトーク・イベントから何か良い影響を受けて、その結果その人が圧倒的に面白い映像作品を制作して、その結果その作品を見たことによって多くの人が素晴らしく満ち足りた気持ちになる、そんなウルトラ・桶屋理論的な可能性に期待しております(本当に)。


・そしてしかしそもそもそのようなトーク・イベントが気になっていたのも、最近の自分は、60年代から綿々と連なる日本の実験映像史のようなものを今一度勉強したいと思っているからなのであって、「実験映像」なんてあまり耳にしない昨今、しかしいよいよその歴史と現代的な意味について考えなくてはいけない。いけないと言うか普通に考えたい。そのような流れで読んでいたのは、水曜日の「古本まつり」にて購入した1980年の『イメージフォーラム』で、その中のジョナス・メカスのインタビューのこの(以下の)あたりが非常に良かった。そんなせめてもの勝手な転載を備忘録。そしてそんな備忘録についての基本的な自分の考えにも妙にしっくりくる備忘録。もちろん「私は戦中・戦後の悲惨な時代に生まれ」たわけではない、のだけれども。


メカス 私の日記映画の方法は、私の生活をすべてもれなく記録するわけではありません。私は日記のために生きているのではない。私は、自分の日記のために、自分の生活の中から好ましい瞬間だけを選びとるのです。日々にはそれぞれ24時間あり、1時間には60分あり、1分には60秒ある。その1日の八万六千四百秒もの中から、ほんの少しだけ選びとるのです。だから記録されない瞬間は無数にあります。そして記録された瞬間も、私の生活の最も代表的な瞬間というのではなく、そのときどきの理由でそれを記録しようとして選んだ瞬間なのです。どうしてもそういう瞬間が欲しかったし、必要だったのです。その理由というのは、多分、おもに、私が戦中・戦後の悲惨な時代に生まれ、生きてきたために、憧れつづけていたシーンがあって、私がひたすらそれらのシーンに固執しているということでしょう。他の人々は知りませんが、現在でも、私だけは、あの悲惨な時代を生きているのです。私はあの悲惨をさらに悲惨なものにしたくない。私が記録したい瞬間は、あの悲惨をやわらげることのできる祝福の瞬間、歓びや幸福の瞬間なのです。(略)