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  映像研究

映画を観る

 
・仕事の前に映画を観る。『シッコ SiCKOマイケル・ムーア
アイロニーというだけではなく、素晴らしくゴージャスなドキュメンタリーだった。前にも書いたような気がするけど、日本型(?)のある種の定例になっている「事実を淡々と撮影する」「判断を保留するための」ドキュメンタリーに慣れてしまった自分としては、アメリカ産のプレゼンテーション型のドキュメンタリーに対してどうしても抵抗があったりするのだけど、「医療制度」のように具体的に数字として示すことに意味があるモチーフの場合は、こういう表現も納得がいく。これは一般論ではなく、あくまでも自分がその映画から何かを考えることができるかという問題として。


・仕事のあとにも映画を観る。『サッド・ヴァケイション』青山真治
ユリイカ』も『Helpless』も(関係ないけど『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』も『路上』も)気づけば結構青山真治を観ていたので、それは観なきゃ損だと思って観てみたのだけれど、とはいえ『Helpless』に関してはほとんど内容を覚えていなかったので、ある意味全くそれぞれの作品のつながりと関係のないところで観るというのもどうなのだろうかと思いつつ、あっという間の136分。全く予備知識なく行って、見終わってからテーマが「母性」だと知ってようやく、このとても「変な」映画の意図するところが少し分かったような気がする。


・しかし例えば数日前に『ニュータウン入口』を観て、ある種どっぷりその世界観に浸かっている(「すべての戦いはあらかじめ負けている」について考えている)ときにこんなものを観たら、一気に空気が抜けてしまう。それはよいことか、そうでないか。「ざっくり分けると幸福側」にも、それなりのあるいはそれ以上のプロセスがあるということについて考えることは良いことだとしても、こちらは全くそんな準備はしていなかったのだけれども。


・そしてしかし、いずれにしても板谷由夏は良い。